画家・藤田嗣治の隠れファンである。別に隠れる必要はないが。
画集などはあまりもたない主義だが、彼の全三冊のそれはもっている。絵もその生涯も面白いと思っている。
3年ほど前、オダギリ・ジョーが演じた映画『Foujita』(小栗康平監督)も面白く観た。
8日、午後5時10分から、NHK総合で「よみがえる藤田嗣治~天才画家の素顔~」という番組を観た。
いろいろ面白かったが、1955年に日本国籍を捨てフランス国籍を獲得し、藤田嗣治から Leonard Foujita になり、さらにモンパルナスを離れてパリ郊外のヴィリエ=ル=バルクへ移住してからの最晩年がとても面白かった。
この村で、彼の終の住処となったアトリエ兼住居は、現在、「メゾン=アトリエ・フジタ」として公開されていて、そこでの彼の佇まいを偲ぶことができるのだが、それがとても興味深い。
例えばそこには、彼が当時聴いていたLPレコードが残されていて、その内容は浪曲であったり落語であったりする。それはまるで、彼のなかに残っている日本への郷愁が、彼を都合の良いように利用し放り出した近代や現代の日本に対するものではなく、それに先立つプレモダンなものであったことがほの見えるような気もするのだ。
もっとも興味があったのが、彼が残したオープンリールのテープレコーダーによる肉声で、それらは単にマイクに向かって語るというのみではなく、彼自身の構成・脚本による一つの番組として、不特定多数の未来の人間、つまり私たちに聴かせるものとなっている。
その聴かせ方はユーモア精神にあふれており、今風に言うならば、「声によるユーチューバー」ともいえるものだ。
放映された限りでの内容では、ひとつは割合シリアスに、この声が永遠に残るように芸術も永遠に残ることを宣言している。
もう一つはとびっきり面白くて、彼自身の脚本によるラジオドラマ風の設定である。「誰かが扉を叩いている」で始まるそれは、訪れてきた死神とFoujita 自身の掛け合いのドラマで、死神がもういい加減に逝こうと誘うのに対し、彼はいまひとつしたい仕事があるから待ってくれと応じる。
その問答では結局、死神が折れてもう少し待ってくれることとなる。興味深いのは、その語り口が彼のもっていた浪曲のLPのその台詞部分の言い回しやイントネーションを彷彿とさせることである。
もう一つ無視できないのは、彼が死神に猶予を乞う理由を具体的に述べていることである。それによれば彼は、これまでいろいろお世話になってきたことへの返礼というか応答の集大成として、ひとつのお堂を建てたいのだと明確に述べている。
藤田=Foujita の伝記に詳しい方は、彼の遺作ともいえるものが、彼自身の設計によるランスのノートルダム・ド・ラ・ペ教会(通称シャペル・フジタ)であり、その内部にはFoujita の手になるステンドグラスやフレスコ画が描かれ、しかもその絵の中には、聖人などに混じってFoujita自身と、最後をともにした君代夫人が描かれていたことをご存知であろう。
そうなのである。彼が上に述べた自作自演のドラマのなかで、死神に今なおやり残した仕事があるとその遅延を求めた仕事こそこのランスの礼拝堂だったのである。
彼は律儀にも、死神との約束を守るかのように、その礼拝堂の完成後に体調を崩し、その翌年、81歳の生涯を閉じた。
ところで、Foujita が自作自演のドラマで、死神と会話をしたのは彼の死の二年前、80歳を間近に控えた折で、彼は断固として「まだ為すべきことがある」とその誘いを断ることができた。
いま私は、まさにその年齢である。いま私が、死神と同様の会話をしたとして、自分の命乞いをするどんな言い分をもっているだろうか。それをもっているとして、それはFoujita のように死神を納得させうる内容をもつであろうか。
考えてみたら、自分の生涯とFoujita のそれを並列に置くこと自体が不遜であるというほかはないのだろう。
凡人は生きるがままに生き、死ぬるがままにその生を終えるという当たり前を全うするのみである。
画集などはあまりもたない主義だが、彼の全三冊のそれはもっている。絵もその生涯も面白いと思っている。
3年ほど前、オダギリ・ジョーが演じた映画『Foujita』(小栗康平監督)も面白く観た。
8日、午後5時10分から、NHK総合で「よみがえる藤田嗣治~天才画家の素顔~」という番組を観た。
いろいろ面白かったが、1955年に日本国籍を捨てフランス国籍を獲得し、藤田嗣治から Leonard Foujita になり、さらにモンパルナスを離れてパリ郊外のヴィリエ=ル=バルクへ移住してからの最晩年がとても面白かった。
この村で、彼の終の住処となったアトリエ兼住居は、現在、「メゾン=アトリエ・フジタ」として公開されていて、そこでの彼の佇まいを偲ぶことができるのだが、それがとても興味深い。
例えばそこには、彼が当時聴いていたLPレコードが残されていて、その内容は浪曲であったり落語であったりする。それはまるで、彼のなかに残っている日本への郷愁が、彼を都合の良いように利用し放り出した近代や現代の日本に対するものではなく、それに先立つプレモダンなものであったことがほの見えるような気もするのだ。
もっとも興味があったのが、彼が残したオープンリールのテープレコーダーによる肉声で、それらは単にマイクに向かって語るというのみではなく、彼自身の構成・脚本による一つの番組として、不特定多数の未来の人間、つまり私たちに聴かせるものとなっている。
その聴かせ方はユーモア精神にあふれており、今風に言うならば、「声によるユーチューバー」ともいえるものだ。
放映された限りでの内容では、ひとつは割合シリアスに、この声が永遠に残るように芸術も永遠に残ることを宣言している。
もう一つはとびっきり面白くて、彼自身の脚本によるラジオドラマ風の設定である。「誰かが扉を叩いている」で始まるそれは、訪れてきた死神とFoujita 自身の掛け合いのドラマで、死神がもういい加減に逝こうと誘うのに対し、彼はいまひとつしたい仕事があるから待ってくれと応じる。
その問答では結局、死神が折れてもう少し待ってくれることとなる。興味深いのは、その語り口が彼のもっていた浪曲のLPのその台詞部分の言い回しやイントネーションを彷彿とさせることである。
もう一つ無視できないのは、彼が死神に猶予を乞う理由を具体的に述べていることである。それによれば彼は、これまでいろいろお世話になってきたことへの返礼というか応答の集大成として、ひとつのお堂を建てたいのだと明確に述べている。
藤田=Foujita の伝記に詳しい方は、彼の遺作ともいえるものが、彼自身の設計によるランスのノートルダム・ド・ラ・ペ教会(通称シャペル・フジタ)であり、その内部にはFoujita の手になるステンドグラスやフレスコ画が描かれ、しかもその絵の中には、聖人などに混じってFoujita自身と、最後をともにした君代夫人が描かれていたことをご存知であろう。
そうなのである。彼が上に述べた自作自演のドラマのなかで、死神に今なおやり残した仕事があるとその遅延を求めた仕事こそこのランスの礼拝堂だったのである。
彼は律儀にも、死神との約束を守るかのように、その礼拝堂の完成後に体調を崩し、その翌年、81歳の生涯を閉じた。
ところで、Foujita が自作自演のドラマで、死神と会話をしたのは彼の死の二年前、80歳を間近に控えた折で、彼は断固として「まだ為すべきことがある」とその誘いを断ることができた。
いま私は、まさにその年齢である。いま私が、死神と同様の会話をしたとして、自分の命乞いをするどんな言い分をもっているだろうか。それをもっているとして、それはFoujita のように死神を納得させうる内容をもつであろうか。
考えてみたら、自分の生涯とFoujita のそれを並列に置くこと自体が不遜であるというほかはないのだろう。
凡人は生きるがままに生き、死ぬるがままにその生を終えるという当たり前を全うするのみである。