ここ一週間、はじめてのメダカ経験にかまけていた。喜怒哀楽が小さなさざなみのように湧き立ち、自分の人生なんて所詮はこれほどのものかいくぶん自嘲気味でもある。
ようするに怠惰であったということだ。ほとんどその他に関心を示さなかった。加齢による何ごとかへの意志・意欲の低下もあるのだろう。
決して暇でやることがなく、困っているわけではない。
家事のみでもかなりの仕事があり、例えば、溜まった新聞紙の整理をして、いつもの紙の業者に連絡をするという単純なことができていない。
廊下の隅に薄っすらと綿埃を見つけて慌てて箒を持ち出す始末だ。ここんところの雨で、さして広くない庭に雑草が伸び放題になっている。除草剤でも買ってきて一網打尽にしてやろうかとも思うが、ヴェトナム戦争の枯木剤の投下をつい連想してしまう。
そんな怠惰な私が、メダカの住処である火鉢からふと目を上げて気づいたことなどをアトランダムに。
ツツジの季節が終わった。落下した花々は死屍累々を思わせる。箒で一箇所に集め弔う。
だいぶ前から気づいていたのだが、庭の隅にいちごによく似た葉を付けた草が生え、黄色い小さな花を付けた。ハハ~ン、あれだなと思ったが、抜かずにおいたら赤い実を付けた。
ヘビイチゴだ。ここへ居を構えてから半世紀以上になるが、こんな身近に生えてきたのははじめてだ。
子どもの頃から、このヘビイチゴは土手や田んぼと道路の法面、畦道など至るところで見かけたものだ。
しかし、私の住まうこの一帯に関する限り、彼らの棲息環境は著しく破壊され、もはや稀有になりつつあるのだ。
というのは、その辺の田圃道がすべて自動車の通路に適合させるために、その法面をなくし、垂直に切り立ったコンクリートの壁にしてしまった結果、彼らの棲息の場はほとんど失われてしまったのだ。
むろん、ヘビイチゴのみではない。ツクシ、タンポポ、ノビル、ノアザミ、スカンポ、若い穂を食べるツバナなどなどが身辺から消えつつある。
だから、このヘビイチゴも、私のところへ避難してきたのだろう。
ところで、このヘビイチゴ、そう美味くはないにしろ食べられるのだが、不思議なことに、戦中戦後の食糧難の折でも口にしたことはない。私のみならず、私の周辺でも食べる風習はなかった。むしろ、これは食べられないということになっていた。その名前から、ヘビイチゴ→毒ヘビ→毒というイメージが植え付けられたのだろうか。
ほかに明るい話としては、いまより4世紀半も前に他界した亡父が、これはきれいだからもってきてやったと、自ら植えていったカタバミが、同じその場所できれいに咲きそろったことである。
その折、父に、何ていう名の花かを尋ねたところ、「確かサクラなんとかだ」と曖昧なことをいっていた。植物に暗く、同様に曖昧な私は、後年、それがカタバミだと知るまでの間、ズ~ッと「サクラなんとか」だと思っていた。
考えてみれば、そのすぐ横に、在来種の小さな黄色い花を付けるカタバミがいっぱい生えているのに、それを比較すらしなかった私がいて、私のあらゆる知がそうした曖昧さにうちにしかないのではないかと、自省を促すのである。
【番外編 この蛾ってなんだろう】
毎年、かなりの数が発生する。文様が美しく、近寄ってもあまり逃げない。場合によっては手を触れると、はっと驚いたように飛び立つが、さほど遠くへ逃げるわけではない。
ネットの蛾の図鑑で調べたが、ちょっと似ているものもいるが、どうもそれとは同定できない。
わかるひとがいらっしたら教えてほしい。