「ぼーっとすると、よく見える 統合失調症クローズの生き方
あべ・レギーネ ラグーナ出版 1,200円+税
【書の内容に即して】
ひょんなことから統合失調症と診断されたひとの手記を読んだ。
この書を読んでいて驚くのは、著者が極めて自省的であることだ。自分の置かれた状況、そこへ と立ち現れる他者、そしてその言動、それへの自分の応答とそれによる新たな状況の変化、それ らが逐一、意識的に捉え返されているのだ。
私のずさんな世渡りでは、それらはほとんど意識的な自省 の対象にならないままスルーされ、なんとなく周辺とのバラン スが保たれている。しかし著者は、その過程を意識的にとり行 う。いやとり行わなければならないのかもしれない。
著者はその診断内容を他者に対してオープンにすることな く、いわゆる「クローズ」のままで日常を送っている。それは それで緊張を余儀なくされる。上に述べたその自省ぶりも、他 者に与える違和感を最小限にしてその間で生きるたため自衛に 通じているのかもしれない。
それではオープンにすれば楽になるのかというと、逆に、そ れが著者のような立場の人をより生きにくくさせる現実がある ことは否めない事実なのだ。
そうした状況を踏まえたこの書には、それらの自己省察の記述であるとともに、病名をクロー ズにしながら生きてゆく筆者がある種の平衡を獲得してゆくに至った姿が自己ドキュメンタリー 風に展開されている。ある意味ではそれは、彼女がそこでもがき苦しんできた軌跡ともいえる が、その過程が、失礼ながらとても面白いのだ。
第二章でのアザミ先生との関係は、どちらが治療者かわからないほどに辛辣であり、相互に 「伝わらない」感が解けないままに終わる。この場合、こうした ディスコミュニケーションのリアルで自覚的な意識は、治療者で あるアザミ先生よりむしろ患者である著者の方にこそあるよう で、あやうく治療ー被治療の関係が逆転しそうなのである。
これがその後の転院の結果、別の関係に変化してゆくくだりも 面白い。人と人が繋がるコミュニケーション、繋がらないコミュ ニケーション、その差異は何なんだろうと思わず考えさせられ る。 クローズで生きるということは人並みに仕事をもつことであ る。著者もまた職業をもつ。ただし、二つもだ。一つは日常的 に務めるいわば糊口をしのぐための仕事で、もうひとつは自分の 趣味と合致した仕事なのだが、こちらの方は頻度が低く、これ だけでは食えない。
彼女は、この二足のわらじを、当初は後者のために前者をするかのように語っていたが、読み 勧めるうちにそうでないことがわかる。多くの主婦同様のパートの仕事は社会的評価も低く、家 族の間でも評判は良くないのだが、しかし、それはそれで社会で必要とされる労働の一端なので あり、自分の生活を支える場なのだとして、それを決して疎ましくは思わないという境地に至 り、ときとしてその単純労働に自らの積極性によるプラスαを付与したりもする。
ともすれば否定的に評価される病い、自分もその否定性に陥りそうな地点から反転するには何 らかの基盤が必要とされる。彼女はそれを、「際限のない劣等感に底ができた」と表現する。ひ たすら沈下し続けた者が、底へと到達し、それを蹴って浮上してくるイメージがそこにはある。
それは言ってみればある種の居直りにほかならない。居直ることによって自己肯定の契機を得 る、そして「自分は自分でよいではないか、私はこの自分に 満足している」と言えるようになり、ついには「自分で人生 を転がしていく体験」を得るに至る。もちろんそこに至るに は彼女の側からの並々ならぬ努力があるのはいうまでもな い。 それは、さまよえる客体として、身の置きどころを探してい た「私」が、主体として立ち上がる契機でもある。ニーチェ 風に言うならば、ルサンチマンを捨て、自分の生を「ヤー」 と肯定してゆく瞬間である。
とはいえ、この病と診断された者にとっての生活の条件 は、自らの「気のもちよう」によってのみ規定されているわ けではない。当然、それをとりまく社会的諸条件とのすり合 わせが不可欠である。
著者が恐れるのは、入院や隔離を強制されることである。そ んななか、彼女は「精神病院を廃絶した」というイタリアのことを知る。そこで彼女はその行動 力を発揮してイタリアのトリエステに向かい、かつての病院跡に開設された開放病棟的なミーティ ングにも参加する。
そのなかで彼女は、患者が自由にその環境を選んで生活することの重要性、必要性を自分自身 に刻み込み、その実現のための工夫を求めてゆくに至る。
「患者が健全に社会参加するのは難しい。はっきり言って、友達付き合いすら難しい。自らを 人間の枠に入れて考えるのさえ難しいことがある。なので余計に、病者の権利を主張することは 重要になってくる。病者にとっては、誇りをもつことが、健常者以上に重要なのである」
これは、イタリア紀行を回想した彼女のエッセイの結語部分である。
ここにも、ネガとしての自分の存在をポジに転じる決意が述べられている。 それを、さらに平たく表現した言葉で、彼女の書は閉じられる。
「病気ゆえにできなかったことを数え上げることはせず、病気ゆえにできたこと、わかるこ と、味わえることを生活の礎にして、笑って、自由に生きてゆきたい」
通読して圧倒された。これまで「健常者」として、「病者」を対象として見たり、それについて書かれた書に接し たことはあるが、「病者」そのものの自己省察から、これ ほど豊かで示唆に富んだ言葉を受け取ったことはない。
その語りは、凡百の人生論よりもはるかにリアルで生き ることの機微に通じている。 読み進めるうちに、第二章で「患者」であるはずの彼女 によってその対象として「診断」されてしまうアザミ先生 のように、私自身の曖昧な生き様に、彼女のメスが当てら れるような気分になるから不思議だ。
人が真摯に生きるというのはどういうことかのひとつの 具体的な事例がここにはある。 それは、一般的なお題目ではない、透徹した立場からの 優れた人生論だともいえる。
病の有無に関わらず、一般性をもった書として一読に値すると思う。
その病いをもったり、それに近い状態にある人には、それを生き抜いてきた先達の事例とし て、心強い導きの書たりうるだろうことは言うまでもない。
なお、付録に彼女が作った「いろはかるた」がある。言ってみれば日めくりの隅に書かれた箴 言集のようなものだが、一般的な意味での人生訓ではなく、彼女自身が遭遇している状況への対 応の心得のようなものとしてのリアルな重みがある。 そしてそのうちのいくつかは、私の胸にもじゅうぶん響くものであった。
【私が考えるとことなど】
このように一般化してしまっていいのかどうかにはいささかの躊躇はあるが、私なりの まとめのようなものを記しておこう。
どんな人でも、意識するしないに関わらず単独者としての自負がある。いうならば私は 私という自同律に裏打ちされた自意識の結節点のようなものである。それはしばしば、優 越性として働く場合がある。誰がどう言おうが、私と私が感得している世界は唯一無二の ものであり、他者の侵犯を許すものではないというわけだ。
しかし一方、私は他者と交わることなく生きては行けない。他者はまた、私同様に固有 の「私」とその固有の世界をもっている。
人と交わるということは、そうした相互の世界がぶつかり、浸透し合ったり、反発し 合ったりすることである。そこで否応なしに知らされるのは、他者は私のアンダーコント ロールのもとにあるのではないという他者の絶対的他性のようなものである。
こうして、私は私としての優越性と、私の力及ばない他者としての他なる存在へのコン プレックスや劣等感との間を往還することになる。優越感と劣等感の併存、あるいは交互 の顕現。人は多かれ少なかれそうした往還運動の中にあるのではあるまいか。
この状況に耐えきれず、恨みつらみの顕在としてのルサンチマンの立場を生きる人たち がいる。彼らは疑似信仰や疑似科学へと身を寄せることによって、自分たちの不安定さを 糊塗し、それでもなお不安を払拭できない場合には、そうした擬制の真実から自分たちを 隔てようとする陰謀が働いているとする。ネットウヨクなどに蔓延するフェイクに依拠し た陰謀論の世界観もそうした一例であろう。
優越感と劣等感の併存、そしてその往還は私の中にもある。それは常態なのだとは思う のだが、しばしばそのいずれかが支配的になり、私を苛む。
短期間であったが、若年の折、ヒッキーに陥り、死の影がちらついたことがある。そこ から生還できたのは、それ自身がより浅い具体的要因によるものだったこともある。
しかし、その生還のパターンは、この書で述べられている彼女の具体的経験と重なる部 分が多い。
劣等感に「底」ができ、それを蹴って浮上する瞬間、自己肯定による居直り(=状況を 引き受ける決意)への到達、「主体」として「自分の人生を転がしてゆく」能動性の獲得。
人が他者と共存して生きてゆくことは、無意識に流されているうちはともかく、意識的 に引き受けてゆこうとした場合けっこう困難を伴う。しばしば訪れる決別や逃避などの裂 け目は、それを垣間見させてくれる。
彼女はそれを日常的に生きてきて、ある地点へと到達した。そこにはただ受け身である ばかりではなく、卓越した自己省察と、自己をとりまく客観的状況の変革をも目指し、精 神治療そのものを積極的に学ぶという営為があったことを忘れてはならない。
既に述べたことの繰り返しになるが、一般的なお題目ではない、透徹した立場からの優 れた人生論がここにはある。
病の有無に関わらず、一般性をもった書としてじゅうぶん一読に値する。
その病いをもったり、それに近い状態にある人には、なおさらのこと、それを生き抜い てきた先達の事例として、心強い導きの書たりうるだろうことは言うまでもない。