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心に映りゆくよしなしごと書きとめどころ

ヤン・ヨンヒ『兄 かぞくのくに』を読んで

2023-05-16 00:43:30 | フォトエッセイ

 著者は在日二世のコリアン女性である。
 本書を含めて四冊の著作があるが、むしろ文字を用いての表現より、映像作家つまり映画監督としての知名度のほうが高いかもしれない。
 「映像作家つまり映画監督」などと持って回った言い方をしたのは、彼女の映画四本のうち三本はドキュメンタリーであり、劇映画は一本のみだからだ。もっとも、彼女の中ではドラマとドキュメントの明確な区分などほとんど必要ないことは本書を読んでもわかる。

 彼女の表現する文章や映像には共通の一点がある。それは彼女の一家が、日本(在日)と北への「帰国者」に分断されていて、 相互の行き来すらままならぬとうことである。なぜそんなことになってしまったのか、その現場はどうなのか、が一貫して彼女の表現の対象であるのだが、この書はそのバックをよく説明してくれる。

          

 彼女の両親は大阪における総連(在日本朝鮮人総聯合会)、つまり北朝鮮側との密接な関連がある在日の組織の幹部であり、父親は 金日成から勲章をもらうほどの地位にあったし、その妻、つまり作者の母親もまた総連の活動家であった。そうした地位にあったが故に、その息子たち三人は、七〇年代初頭の「帰国事業」の中で、北へと「帰国」している。
 厳密に言うと、三人のうち二人は、 総連幹部の立場上、進んで帰国をさせたのであったが、長男については、それとは別に、むしろ上部よりの命令によって召し上げられたような形である。
 こうした場合、一人は残すという暗黙の了解があったので、これには流石の父母も抵抗したようであるが、将軍様直々というお達しは絶対的なものであり、逆らえるものではなかった。

 帰国事業というと北の出身者が北へ帰るというごく自然な状況を思い浮かべがちだが、そうではなかったところにこの問題の複雑さがある。

 日本の敗戦時(1945年)、日本にいた在日朝鮮人は200万人に及んだ。そしてそれらの人々の97%はその南部(現在の韓国領)の出身者であった。戦後、そのうちの140万人がそれぞれに帰国したといわれる。これはまさに帰国であり帰郷であった。
 しかしこの、1959年に始まり、中断をはさみながら80年代はじめまで続いた「帰国事業」はそうではなかった。この間、「帰国」した九万数千人のうち、過半数は南部出身者であったといわれる。

      
            著者と彼女の最新作映画のポスター
 
 どうしてこんなねじれ現象が起こったのか。
 戦後、帰国した人たちは、朝鮮半島は日本が植民地化する前の、朝鮮半島全体での一つの国ができると思いこんでいた。しかし、戦後の朝鮮半島は永年の日本の植民地支配で、半島自体の政治主体が不在なのをいいことに、始まりつつあった冷戦の当時者たち、つまり、米ソがその南北を信託統治化してしまったのである。 
 彼らの名目は、統一国家が出来るまでの暫定的支配ということであったがことはそれほど単純ではなかった。

 まず、48年に南側が米の支援を受けながら南のみでの国家形成に名乗りを上げる。統一国家を望む人たちによる反対が各地で起きるが、とりわけ済州島では南のみでの国家に反対する蜂起が始まる。それに対して本土からは抑圧のための各種暴力集団が集結し、島民たちへの無差別攻撃が始まり、それにより、島民おおよそ10%が犠牲になったといわれる。
 そして、さらに50年には朝鮮戦争が始まる。

       
               映画『かぞくのくに』から

 そんななか、一度帰国した人たちが、難民として日本へ逆流する現象が起きる。なかには、戦前日本にいなかった人たちも難を逃れ、つまり難民としてやってくる。それに対して日本側が構えたのが悪名高き大村収容所であり、その非人道的な悪しき伝承は現在の入管システムに引き継がれ、ウィシュマさん見殺しに至るとされる。

 話は逸れたが、はじめに書いた筆者の父母、つまり筆者の三人の兄たちを北へ捧げた両親も、じつはこの済州島殺戮事件で難を逃れて日本へやってきたのであり、本来は南の出身だったのだ。三人の兄たちの帰国に「 」をつけたのはそんなわけである。おそらく、三人の兄弟にとっては帰郷ではなく、異郷への島流しに相当したはずだ。

 なぜこんな事が起こってしまったのか。日本は、「人道的措置」とかいいながら、朝鮮人を一人でも多く追放したかった。韓国は人口過剰に悩み受け入れたくなかった。
 そんなところへ金日成から、帰国費用はすべて北がもつ、そればかりか、帰国後の住居、職業、教育も保証するという通告が届く。それが一挙に、「地上の楽園」とのキャッチコピーとなり、拡散する。
 日本政府は、韓国の抗議を逃れるため、帰国関連の一切を赤十字に丸投げする。そして、自民党から共産党までこの帰国事業を支持する体制ができあがる。リベラルからも、そして「反スターリニズム」を掲げるニューレフトの中からも反対の声は上がらなかった。そればかりか、共産主義者同盟赤軍派が起こしたハイジャック事件の最初の目的地はピョンヤンであった。

       
               映画『かぞくのくに』から

 この書は、そんななか、帰国した兄三人とその両親、とりわけ、彼女がまだ入国が許されていた北での三人の様子を妹の目から見た書である。
 それぞれが関連する三章からなっているが、第一章は長兄コノ。彼は三人のうち最もエリートで、すでに触れたように選ばれて「帰国」させられたのであった。この長兄は、文学や映画、演劇、そして何よりもクラシック音楽を好み、帰国時もその再生装置や何枚かのレコードを携えてゆくのだが、それらはすべて「反人民的」であるとして取り上げられてしまう。
 この国の体制は、次第に彼の精神を蝕み、彼女が最後に逢った時、重度の躁鬱のなか、ピョンヤンのレストランでハイになった兄は、まるで彼の前にオーケストラがいるかのようにドボルザークの「新世界」第四楽章の冒頭部分を大声で歌いながら指揮をするのであった。
 タ~ンタタタタタ~ンタンタタタ~ン タ~ンタタタタタ~ンタンタタタッタン~タン

 彼は現実の「新世界」には馴染むことは出来なかった。だからこうして、幻の「新世界」へ逃れるほかはなかったのだ。

 第二章は次兄コナの話である。
 彼は要領のいい方で、最初の結婚は同じ帰国仲間でもっとも美人であるといわれた女性とであった。しかし彼女は、二人めの子どもが出来たところで育児も何も放り出して家を出てしまう。日本にいた頃との落差に耐えきれなかったのであろう。
 しかし帰国者は、「キーポ」(帰胞)と蔑まれながらも、後添えにはまったく困らなかった。北の女性たちは、帰国者には日本からの金銭や物資の支援があり、生活に困らないことをよく知っていたからだ。やってきた後添えはそんな自己中なところを全く感じさせない気のいい女性であった。
 彼女は新たに一人の子どもを設けるが、しかし、不幸にして若くして病死してしまう。
 そして、次の女性・・・・子どもたちはそれぞれ異なる母をもちながら、たくましく育ってゆく。
 この次兄は、現実的にして懐が深い方で、筆者に、「お前は俺たちのことを気遣うことなどせずに、自由に生きろ」と、北への拘泥を控えていいという旨を告げる。
 この兄の子どもたち、甥や姪と合唱したのが筆者が北訪問の最後となる。総連や北当局から入国を禁止されてしまうからだ。

      
               映画『かぞくのくに』から

 第三章は三男であるケンちゃんの話だが、「帰国」した折はまだ中学生であった。日本での経験が浅かったせいか、いちばん北の体制に馴染んだかのように見える。貿易関係の仕事で、三人のうち唯一、出張で北京など中国各地へでかけたりしている。
 その彼が、北では治療不能な病にかかり、三ヶ月の期間で日本での滞在が許される。ただし、監視員付きの滞在だ。
 早速医療機関の門をたたくのだが、手術をして予後を見るために三ヶ月では足りないと宣告される。両親は、総連幹部へ必死の要請をするなど、滞在の延期を実現しようとする。
 その間、彼は、かつての同級生が企画してくれた同窓会に出たり、そこでかつての恋人と再会したりする。それら同級生は、同じ在日でも今は南系の民団(在日本大韓民国民団)に移籍していたり、日本国籍を取得してる人もいる。
 彼らが無邪気に問いかける問いのなかには、答えられないもの、答えてはならないものもある。そんな時、そっと席を外したりするさまが微妙でもどかしい。
 
 そんな折、まだやってきて二週間も経っていないのに急遽、北への帰国命令が出る。なぜ?当初の三ヶ月というのは?などなどの疑問が噴出するが、命令のあった二日後、監視員が車で迎えに来て彼は静かに乗り込んで去ってゆく。

 この第三章は、独立した物語として、ヤン・ヨンヒの唯一の劇映画となってる。
 キャストは安藤サクラ、井浦新、宮崎美子など。
 タイトルは、この書のサブタイトルになっている『かぞくのくに』。
 私は観ているが、切ない思いが溢れるものだった。

 人間が恣意的に引っ張った線としての国境。その囲い込んだ内側のみで通用する真理や正義。それらに自縛されたかのようにうごめく人間たちは、傍目で見たら壮大な虚構に取り憑かれた喜劇であるにすぎない。しかし、そこでは、具体的な諸個人が、常にすでに、自分の周りに張り巡らされた舞台装置のなか、不条理劇の登場人物としてほとんどの場合、孤立して懸命な演技を強いられているのだ。 

 そうだ、逃げ道が一つある。
 コノ兄のように、自分の周りをすべてオケのメンバーとし、現実の向こう側、本来見えない「新世界」のフレーズを高唱し、もって現実そのものを哄笑で越えてしまうことだ。
 

『兄 かぞくのくに』 ヤン・ヨンヒ  小学館 (2012)

この著者の映像での最新作は、今年公開された『スープとイデオロギー』。これはその母をめぐるもので、その母が18歳の折に遭遇し、日本へ避難してくるきっかけとなった済州島事件などが登場する。
 これについては別途、以下にその紹介を述べている。
  https://blog.goo.ne.jp/rokumonsendesu/d/20230209

なお、帰国事業については、同人誌『追伸』15号に小論を載せる予定。


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