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ウィーン近郊で起こったこと 黒川 創の小説を読む

2021-08-12 15:05:34 | 書評

 黒川 創の中編小説『ウィーン近郊』を図書館の新刊コーナーで見かけて借り、読んだ。初出は『新潮』2020年10月号、単行本化は今年の2月。

 なぜこの書かというと、一度だけだが著者と逢ったことがあるということ、それが縁で彼の小説を2,3篇は読んでいること、さらにいうならば、海外旅行の経験は少ない私が、二度訪れた唯一の都市がウィーンだったということによる。

            

 冒頭から少しドキッとする。長年ウィーンに住んでいた兄の自死の報せに、日本から駆けつけた妹の話から始まるからだ。なぜドキッとするかというと、著者黒川の身内が自死していることを知っているからだ。
 しかし、そんなに驚く必要はないのかもしれない。というのはちょうど10年前、黒川はその身内の自死と直接向かい合って、死者と生前、縁があった知人、友人、親戚、行きつけの飲食店夫妻などとのインタビューをまとめた書『〇〇とは何者だったのか』を出版しているからだ。

 小説に戻ろう。
 話は概して、兄に自死された妹と、それをサポートするオーストリア大使館の外交官との視点が交互に現れて進む。
 ただし、それによって自死の真相・真実が明らかになるわけではない。自死する者の真実なんて事後的な推測にしか過ぎないだろう。明らかになるのは、その兄が、ウィーンにおいてどんな人びととどんな関係を結びながら生きてきたかということであり、それこそが現実なのだ。それはまた、前述した黒川の自分の身内の自死についてのインタビュー集の手法とも一致する。

 その兄の遺灰が墓地に埋葬される際、それに参列してくれた人びとに、妹が謝礼を兼ねたやや長い挨拶をするのだが、それがひとつのまとめになっている。
 最終章は上に述べた外交官の叙述だが、そのなかで、ソポクレスによるオイディプスから始まるテーバイ三部作のうちの『アンティゴネー』が引かれるに至って、なるほど、これは兄をきちんと葬ろうとする妹・アンティゴネーの話であったのかとも思えるのだが、もちろん、それも比喩的な類似にとどまるほかないだろう。

         

 この外交官による終章は、アンティゴネーの話の他、リトアニア、カウナスでの杉原千畝の話、エゴン・シーレの「死と処女」についてのエピソード、映画『第三の男』の当時の背景などなど、興味深い考察が続いていて、著者の関心の広さやそれらについての豊かな知が伺えるものとなっている。
 
 小説とは関係ないが、かつて私は、オーストリアの戦中戦後の立場についての疑義を描いたことがある。ウィーン、ザルツブルグ(ここに一週間滞在したことがある 1991年)、グラーツとどこの都市も、そしてそれらを取り巻く自然も素晴らしく、とても好きなところなのだが、歴史的には問題があると思うのだ。

 この国は1938年にヒトラー治下のナチスドイツに併合されるのだが、それは、他の周辺諸国のようにナチの軍事力によって蹂躙されたのではなく、極めて自主的に大ドイツ主義を背景に、国民投票による99%近い賛同のもと実現されたものだった。
 だから、ドイツ軍の進駐に対しては、各地でハーケンクロイツの旗による熱烈な歓迎でもって迎えたのであった。

         

 しかし、戦後、ナチスドイツが敗北するや、あたかも自分たちも被害者であったかのようにスルリと身をかわし、連合国側に媚びたのであった。
 したがって、自らのナチズムへの親和性はそのまま棚上げされ、ドイツ本国のようなきちんとした自己批判や再発防止措置も取らないまま現在に至っている。反ユダヤ主義をナチスと共有したことについての自己批判もない。
 そんな背景もあってかヨーロッパにおける最初のニューナチズム登場を許し、その勢力の侮れない進展といった結果を招いている。

 私のこの見解はあまり受容されないかのようだが、この書でのその辺の見方は私のそれとほとんど一致している。我が意を得たりといったところである。

 それはともかく、小説に戻るならば、その読後感をうまくまとめたり伝えたりはできない。
 ただ、著者がこのタイトルを「ウィーン近郊」としたことはなんとなくわかる気がする。ここで語られる一連の推移そのものが、あたかもウィーンという都市と不可分なものであるかのように語られるからである。
 人びとが出会い、そこで生き、生死に関わらずそこから離れてゆく結節点、それらの人びとが分有する不可視のエネルギーのようなものとしてのウィーン・・・・。 


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