2月末は23、25、26日と、それぞれ別件で名古屋訪問が続いた。
JR岐阜駅にて
それぞれ、好天で気温もさほど低くはなかった。JR東海道線でのお出かけは、前にも書いたように、そこでは書から目を上げて撮影したくなるスポットが2箇所ある。
そのうちの一つが愛岐県境の木曽川。この写真では河原があって中流域の様相を見せているが、車窓の反対側からはもう淀んだ流れが始まり、笠松辺りからは下流域の様相に転じ、もう急流や瀬はない。
もうひとつの撮影スポットは稲沢駅の東に広がる旧稲沢操車場の痕跡で、かつての広大さは半減したとはいえ、ここでしか見られない電気機関車や気道機関車を観るのはチョイ鉄の私には楽しい。
名古屋駅0番線ホーム 使われないからレールに錆が
23日は駅周辺での若い人たちとの読書会。つい古い話になると、中途半端ながらそれらに関わってきたこともあって、いろいろ口出しをしてしまう。「俺もやったんだよなぁ」という自己肯定的なアリバイ作りにはしたくないと思うのだけれど・・・・。
25日、本来の用件は名古屋の大曽根にあったのだが、夕刻からだったのでそれまでの間、駅西のシネマスコーレで映画を見ることに。
チケットをゲットしたあと、開場時間までの間そのへんを散策。かつて、「駅裏」といわれたこの辺り、その呼称が差別的ということで「駅西」に改められたのだが、その駅裏時代の風情がまたこの街独特の風情を醸し出している。
若松孝二監督が、自分の映画や気に入った映画を上映するために作ったというこのシネマスコーレも駅裏時代を彷彿とさせるし、亡くなった若松氏も、そうした表層的な言い換えを是としたのかどうかは疑わしい。
ちなみに、故若松監督は私の居酒屋時代の顧客であり、いろいろ言葉を交わしたりしたこともあるし、その家族関係、そしてそれにまつわる悲劇的な事実も知っている。
なおこの駅西は、駅裏時代は食料品関係の市場であった。私の居酒屋時代、ここまで仕入れに来ることはなかったが、その一隅にあった調理器具の店からはいろんなものを買った。
そんな懐かしい記憶もあって、野菜を売っている店で、小粒のじゃが芋が30個ほど入って100円というのがあったので、つい買ってしまった。
これから映画を見て、さらに夕方からは別件の会合があるのに、じゃが芋を買ってしまうとは・・・・。
それから観た映画とその後の会合、そして26日の名古屋についてはまた別途。