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心に映りゆくよしなしごと書きとめどころ

アキバの無差別殺人を考える

2008-06-10 03:40:25 | 社会評論
 六月八日、秋葉原でまたもや無差別殺人時間が起きました。
 奇しくも七年前の2001年のこの日、大阪の池田小学校では、児童殺傷事件があり、その被告宅間 守はやはり対象は誰でも良かったとその無差別性を語っています。
 こうした殺人は、従前より全くなかったのではないのですが、最近とみに増えてきたように思います。
 今年に限っても、明らかに無差別と目されるものがこれで五件目だそうです。

 

 被害者にとっては理不尽な話で、たとえば私のように小心で、できるだけ人様の恨みつらみを買わないように生きてきたつもりでも、あっけなく殺されてしまう訳です。
 それでは、なぜこうした殺人が無差別な対象に向けられるのかというと、それらが特定の対象への憎悪、利害得失とは次元が違うことに依ります。
 いってみればそれは、いわゆる人倫というか倫理の世界からの、あるいは共同存在という人間のあり方からの離脱宣言なのですから、犯罪の対象やその形態は選ばないのです。

 ところで、倫理とは人間相互の共同存在としての約束やルールのネットに自らを位置づけることにほかならなのですが、そしてまた、こうした倫理的約束とは未来に向かって自分をその共同体の一員として規定するものでもあるのですが、その共同存在のネットに将来ともに自らを位置づけるということ自身を放棄したとたん、彼ないし彼女はそうした倫理からは全くフリーになるのです。
 他人への迷惑や、殺される者への責任を考えろといくらいっても無駄です。そうした言い分がが成立する構造そのものから離脱してしまっているからです。

 
 
 ご承知のように池田小事件の宅間被告は、反省などの言葉は一切口にせず、ごたごたいわずに早く死刑にしろと主張するのみです。
 弁護士や裁判官、そして検事までもが彼の反省の言葉を誘導するのですが、彼はそれらに対し小馬鹿にした態度をとるだけで決して応じようとはしません。そして、それはそれで、論理的一貫性をもっているのです。

 そうした現象は、かつてなかったほど管理社会が緻密になっている反面、この共同存在のネットがきわめて脆く破壊されやすくなっていること、ないしは、本来はそうした共同存在を前提としてこそ自己であるはずの者たちが、かえってその帰属を疎ましく思い、容易にそれからの離脱を決意しうる状況にあるということを示しています。そこにこうした現象の病理性があるともいえますし、この病理はなかなかやっかいなのです。
 年間、三万人に及ぶ自殺の増加も、格差社会での生活苦や将来への悲観などが原因として挙げられているのですが、一方、ここにはこうした共同体からの離脱志向も含まれているものと思われます。

 

 こうした構造的な倫理からの離脱の特色は、利害得失や憎悪のように、現実的な対処や対応を越えたところで起こりうるものであり、しかも、加害ー被害の双方に、私たち自身が代入可能だということも肝に銘ずるべきだろうと思います。
 今回の容疑者も、犯行を決意したのは三日前だといわれ、それまでは年収三〇〇万の労働者として普通に働いていたのです。ということは、それまでは、ここでこうしてそれを論じている私と、基本的に同じ地平にいたことになります。
 彼の場合、どこかでタガが外れたのであり、それはまた、私には絶対起こらないことと言い切ることは出来ないのです。
 正直に言えば、わたしも空想の世界では殺人者に身を置いたことがありますし、多かれ少なかれ、誰しもその可能性はあるはずです。

 「人を殺してはいけない」というのは、あくまでも人間が共同存在する動物であるという前提に立った約束(倫理)ですから、それを離脱する者たちへの説得は原理的に不可能です。
 よく、そうした人たちに、「人でなし」という罵倒が浴びせられますが、それは彼が意識して選び取った道であるとしたら、逆に賞賛であるのかも知れません。

 

 だとしたら、そうした人たちを、あるいはそうするかも知れない私を、つなぎ止めることは不可能なのでしょうか。
 その動機が、共同存在する人間への不信、絶望、無意味さであるとしたら、そうした不条理、不確定性は時間や歴史に即したものであり、それは変化しうるものであることをわかってはもらえないでしょうか。
 時間は、事態そのものの変化とそれを受け止める私たちそのものの変化をもたらすということをです。

 従って、共同体内での私たちの過程が無意味であったり、不条理であったり不確定であったにしろ、それらはそれを生き延びる者によってのみ受容しうることなのであり、他者を殺さず、おのれを死に追いやることなく、生き延びることによってのみその審問の資格者たり得るのだといってみることにわずかに望みがあるのかも知れません。
 共同体の約束としての倫理を一時棚上げにしても良い、しかし、戻り道を塞ぐことなく、見つめ続けること、その形がいわゆるニートや引きこもりであっても構わない、とりあえず、殺し、死ぬことを棚上げしてみようということです。

     

 それから、以上見たのは、個々人から見た共同体からの離反の形ですが、それは、共同体そのものの排除の構造と表裏を為していることを忘れてはなりません。
 今日の共同体そのものが人を個として分断し、その彼や彼女を「生産力」や「労働力商品」として利用しうる限りで受け入れ、そうでない者や適合不全者には自己責任として切り捨ててゆく、そうした構造の中で、また、人々の共同存在者たることへの不全が生じてくるのではないでしょうか。

 考えようによってはこれは、「テロとの戦い」より根源的かも知れません。
 テロは、共同体の倫理のうちにあり、また、利害得失の論理のうちにあるからです。

 「万人の万人に対する戦い」というホッブズの「自然状態」は、社会契約を導くための仮定の前提であったはずですが、どうもそればかりではないようですね。

 

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街のパーツ・その衣装を脱がせる

2008-06-09 02:42:05 | フォトエッセイ
 街はいろんなパーツでできています。
 私たちはそれらを、これは道、これは建物、これは灯りといった具合に識別しながらも、漠然と全体を眺めています。
 そうしたなかで、おそらく私たちは、無意識のうちに私たちの生活に関わる繋がりや有用性のようなものとして、それがそこに、そのようにしてあるのは当然として見てしまっているのではないかと思うのです。

 
 
 しかし、一度それらを、私たちの生活関連から切り離し、オブジェ(そのもののそのもの性)として見ると、新たな発見があるように思います。
 要するに、全体を形作るパーツとしてではなく、それ自身としてみること、あるいは、そのものと他のものとの配置や繋がりを、生活関連や有用性を取り除いてみるということです。

 

 これは一見、難しそうですが、逆に言うと、最近、生活関連の中ではなんだかよくわからないものが街には増えていることからして、そのものをそれとしてしか見ることができない場合もあるわけです。「なんじゃいこれは」といった具合にです。

 

 もっともそんな場合にも、私たちは、「ああ、あれはきっとこの為のものに違いない」と変に納得して無理やり生活関連の図式の中に閉じこめてしまうことが多いのかも知れません。
 私たちがものを見る視野や視点は結構頑固で、見えない関連を勝手に見てしまったり、逆に、そこに見えているものが見えなかったりもします。

 

 それはともかく、街中でものと出会うおもしろさは、それらのものをその生活関連の衣装を脱がせて見ることのようにも思うのです。あれとこれとの調和と不調和、この形のこの質量感、あるいはこの色彩の自己主張、そうしたものがここにあるということ、それは結構新鮮に思えます。

 

 もっともこれは、見慣れた街を面白くする私なりの遊びに過ぎないのかも知れませんが・・。
 それに加えて、急ぎ足ではなく、割とゆっくり街を歩くようになったせいもあります。
 え? お前のように暇人ではない? ごもっともで・・。
 






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ひとが死ぬということは・・(2)

2008-06-07 04:10:00 | よしなしごと
 人は死すべき者たちです。動物も生を終えますが、おそらく自分が死すべき者であるという自覚はないでしょう。
 人は、自分が死すべき者であることを「知って」います。しかし、これとて、そうした可能性があることを漠然と知っているのであって、日常的にそれを念頭に置いているわけではなさそうなのですが。

 それはともかく、人が死すべき者であること=可死性は疑い得ないようです。
 しかし、この可死性の現実化(要するに死)も人においては全くの単独な出来事ではなく、その共同存在というか複数性というか、そうした関係性のうちでの出来事のようです。

 

 たとえば、「殺すー殺される」という関係があります。
 殺人事件、戦争、抑圧、格差や貧困による死、事故死などがそれらで、この場合、私たちはその「殺すー殺される」の双方に代入可能です。これは、ホッブズのいう、自然状態における「万人に対する万人の戦い」にも似た図式といえます。

 そうした、「殺すー殺される」以外のいわゆる自然死もあるのではという反論もあるでしょう。
 かつては、「畳の上で死ぬ」がまっとうな死といわれたことがありますが、今日ではそれはきわめて少数の例だともいえます。
 しかし問題は、どこで死ぬかの場所の問題ではなく、いわゆる自然死の不可能性のようなものが一般的になっているのではないかということなのです。

 

 端的に言うならば、人はその死においても、管理されているということです。
 具体的に言えば、それは現在の医療技術とそれを包括した社会全体のシステムのうちにあります。

 現在の医療技術は、その治療、蘇生、延命などにおいて、絶大な力を持つに至りましたが、とりわけ問題は、人が終焉を迎えるに当たっての延命技術の問題です。この技術の進展は、かつてならとっくに死を迎えた者たちを生かすことができるようになりました。

 当然のこととして、そうした延命措置の中から、蘇生し、帰還しうる者たちには最大限の尽力が為されるべきですが、それが不可能な者たち、あるいはグレーゾーンにある者たちに関しての生死の判定、あるいは、延命措置の継続中止の判断は、死に行く者たち以外の者に託されるところとなりました。

 

 具体的にいえばそれは、医師の所見やアドヴァイスを受けた家族や親族の決断にゆだねられることになったわけです。もっともこの場合、医師のもたらす情報やアドヴァイスは強い影響力を持ちますから、その意味ではまた、医師もその決断に携わっていると見なされるべきでしょう。

 要するに、死に行く者たちの死は、死の可能性をはらみかがらも日常的にはそれと意識しない世人としての私たちの判断に委ねられるのです。
 そしてそこには、当然のこととして、死に行く者たちとは関わりない場でのエコノミーが作用します。それを、管理といってみてもいいでしょう。

 これが良いか悪いかを述べているのではありません。今日においては、これこそが人の死であり、その死はほとんどエコノミー(管理)のうちにあるという事実を述べているに過ぎないのです。

 

 これまで述べてきたことは、一般論に過ぎません。
 しかし、私自身が老母の末期に付き従いながらいるとき、論理的な整合性のみで事態を乗り越えられないところに追い込まれています。

 もはや後戻りできない決断の時が迫っているのです。
 私は当初、悔いの残らない決断をしたいと思い、日記にもそう書きました。
 しかし、今、それはある種の思い上がりだと思っています。
 あらゆる決断は、その背後に異なる決断や、不決断を含んでいるのであり、その意味で、自分の決断に「悔いのない」という保証を求めるのは、ある種の自己正当化に他ならないと思うのです。

 どう決断しようとも悔いが残る、にもかかわらず決断しなければならない、その逡巡のうちでの決断こそが本来の決断の重みなのでしょう。

 どう決断しても悔いが、そして母へのある種の罪悪感は残るでしょう。
 しかし、その重みこそ、私と母を繋いできた時間の重みなのだとひとまずは弁解しておこうと思うのです。

 

【キーワード】 *死すべき存在 *共同存在・複数性 *ホッブズ *生政治 *決断







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針穴をするりと抜けてきた駱駝

2008-06-04 03:15:26 | よしなしごと
 <川柳もどき>の第3弾です。
  「なんだかな~」と思っています。梅雨だそうです。to you 。 


 
         空洞を切ればいっそう深い闇

*「存在の仕方」改め、あるということ・3
 
 こんなにもつながれていた紐の数
 
 なにごとも告げぬ雫のしたたかさ

 皺を伸ばすと何かが希薄になる

*箱
  
 ちょうどいい箱を探しているタンマ
 
 自己主張 りんご箱やらみかん箱
 
 お別れの言葉が箱に満ちてくる

 大きめの箱でガサゴソ自尊心

 

*狭い
 
 針穴をするりと抜けてきた駱駝
 
 知ってます 真っ直ぐ行けば狭くなる

*串
 
 田楽の串は抜かれて自己主張
 
 魚一閃貫いている踊り串

 

*恋と別れの歌・1
 
 よく回る舌だから別れの予感
 
 もう行くと抑揚もなく低い声
 
 別れ歌やはり不埒な薄い闇

 

*雑詠
 
 失語症もたれ合ってるうす情
 
 注がれているとは知らぬ青い空
 
 騒ぐなとクロスワードの黒い枡
 







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目撃者の証言

2008-06-02 01:55:17 | よしなしごと
<その一>
 JRの車両はどんどん新しいものに代えられているが、普通列車に乗ると、ときどき古い車両にお目にかかる。
 つい先日も、普通列車に乗ったら、やや懐かしい向かい合わせの4人掛けが固定された車両だった。

 
 
 シートの色もいつものブルー系統のものとは違うので、なんだか懐かしい思いがして眺め回していたら、窓枠の下に七つのネジがあるのを見つけた。
 何だろうなとしばらく考えていたら、すぐ、ああ、あれかとわかった。
 何なのかは簡単すぎてクイズにもならないと思うが、思い出せば懐かしいものではある。

 
 
 遙かな昔、私もお世話になったことがある。
 今、復活してももう用はないのだが・・。

<その二>
 母の病室からは木曽川が見える。
 付き添いに疲れた折など、ふと目を上げると、眼下の緑や水に癒やされる思いがするのだが、肝心の母はもうそれを見ることができない。

 
 
 おそらく見ることのないままに逝くのだろう。
 「かあさん、木曽川だよ」とつぶやいてみる。

<その三>

 岐阜県美術館の庭で見かけた親子の様子。
 上の女の子はおしゃまで、もういろんなことを話せそうだ。
 下の男の子は、まだ片言がやっとだろう。
 それにこの母親の若いこと。私の孫ぐらいだ。


 
 でも、こんな風に仲むつまじいのはいいなぁ。
 なんだか得をしたような気分になった。



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