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きっと、いいことあるよね!

母(sake)と息子(keke)の日々の記録。
お出かけ写真と料理など。

【薄い】死

2008-09-04 | 今の会社
仕事関係で知っている人が事故でなくなった。
空気が重い。

Aさんと電話でその話をしてて、「それよりさ~」と言った時、受話器の向こうで憮然とした空気をはっきり感じた。たしかに「それよりさ」はなかったかもしれない。

元夫の父が亡くなった時も、どこか他人事みたいな部分があったし、その時は彼を大いに失望させたと思う。
自分の母親が亡くなった時も夜に泣きはしたが、それでも人生感を変えるほどの大きなショックとは違うように思う。かと言って段取りに忙しく何をどうしていいか分からなくてパニくってた妹ともまた訳が違うように思う。
悲しむ余裕も時間もありながら、泣きつくすほどの涙にはならなかった。

あえて言うと母親の場合は、悲しむよりも敬礼したい気持だった。
私はあなたの気持を無駄にはしません、と。

実の親でこうなのだから、年に一度会えるかどうかの義理の父や顔見知り程度の知り合いでは・・・である。
「死」そのものに対して【薄い】のかもしれない。

だから、自分がある日居なくなっても、周りは大きくは変わらないように思う。
自分がそうであるかのように、他人も淡々と毎日を過していくだろうと思う。
死んでしまって自分が何も感じなければ、もう何も関係ない、そんな気がする。

そんな辺りが薄々、周りとは違うのではないか?と感じていたが、普通の人はどうなのだろう。
もしも違うとしたら、なぜ、どこから違うのだろう。
今までのどこの環境が、私をそうさせたのだろう。

巷のよくある、家庭内の殺人事件も、たぶんそんな辺りが起因しているような気がする。
何か重要な何かが欠けたまま成長してしまった人間が、自分の命を捨てるように人の命も奪えるのかもしれない。
それとこれとはセットのように思うのだ。
 
でも、人なんていつ去って別れるかなんて分からないから、それを欠点だとは思ってない。
いつまでもあると思っちゃいけないのは親と金、だっけか。

いいや、この世にあるものはみんなそう。
壊れないもの、なくならないもの、変わらないものもありはしない。

 
またAさんから電話が来て、「sakeさん5時半までいる?」と言う。
 
「用があるならそれまで居ますけど?」
「社長が会社を出る時に香典を持ったか確認してほしいんだ。」
「それならさっき(社長の)机の上の目につく所においてありましたから、大丈夫です。」
「わかった。」

いや・・・香典を置いていくって事はないだろう。。。私じゃあるまいし。
でも、あんなに目のつく所に置いてあるってことは、最近物忘れがひどくなった自覚があるのだろうか。・・あの人も。

私もみんな忘れてしまうから、メモ魔になって全部セロハンテープで貼ってある。
プライベートでは忘れてしまっていい事が結構多い。

人間はうまくできている。