きっと、いいことあるよね!

母(sake)と息子(keke)の日々の記録。
お出かけ写真と料理など。

回り道

2008-09-15 | 息子keke
kekeは「昨日も今日も勉強に集中できなかった」と言う。

「部屋で勉強してなかったの?」
「人生について考えてた。」
「そんなにムリしなくていいんじゃないの?今からやっても内申が一つ上がるかどうかでしょ?」
「そう。」
「やらなくても3つも4つも下がる訳じゃないんでしょ?」
「たぶん。」
「今の内申かマイナス1くらいで行ける所を考えたらいいんじゃない?第一志望の学校なら学科を変えて狙いやすい所にするか、第二志望にするかじゃないの~?」

すると、kekeは学科を変えるのはイヤだと言う。

「今までと方針変わったの?」
「興味無い所に無理に入っても勉強する気にならなくて、ついていけないかもしれないから。」
「そうねぇ。それなら第二志望の所に入ればいいじゃないのかなぁ。遠いからイヤ?」
「今はそうでもない。」
「ならそれでいいんじゃないの?」
    ・・・・・
「あぁ~~、3年間何をしてたんだろう?それならこんなに勉強しなくても良かった。完全燃焼できなかった!!」

完全燃焼??

「いいや。あんたが勉強しだしたのはごく最近で、1年の時も2年の時も好きなように寝て、好きなように起きて食べてネットだかチャットして・・・本当に何不自由なく自由気ままにやりたいよぉうに生活してたよ。。。」
「部活くらい入ればよかった。」
「2年になってからでも入れなかったの?」
「途中から入れる雰囲気じゃなかった。」
「E部とか見学に行ってなかったっけ?」
「3年生のセンパイが1人居るだけだった。」
「それじゃその人が卒業したら劇団ひとりか。。。」
「・・でもそしたら部長になって(推薦の)肩書きがついた。。。」
「後になって分かる事もあるんだね。これから大学で何かすればいいんじゃないの?」

そうなのよねぇ。
人生なんて、後になって分かる事の連続なんだよね。

自分のことだってそうなんだもの。
決めるのは自分しかいないんだよね。
最後は自分なんだ。


午後は図書館に行って、瀬戸内寂聴さんの人生相談の本を手にした。
20年くらい前読んだ本の中で、瀬戸内さんが旦那さんと子供さんを残して好きな人の元に行った事が綴られていたのを思い出す。たしか体験談だと思う。
宇野千代さんもお子さんは居なかったけれど、好きな人の元に思いのまま駆け出していくような方だった。

人様に何かを言えるには、自分がいっぱい回り道して、楽しいことも辛いことも悲しい思いも全部身体ごと入って、くぐってみないと。

私はまだ、自分の死に向かい合う気持は分からないし、kekeを失う悲しみも、災害で何もかも無くなる体験もしていない。
これ以上辛い思いはしたくもないが、それがなければその人の痛みは分からない。
自分が傷み得ないで人を癒すだなんて、何て思い上がったことか。

スムーズに正当にうまく人生を渡る人には憧れる。
例えばK女史のように。

あれから何度かメールを出そうとしたけれど、その度に何を書いていいか分からなくなり、暑中お見舞い申し上げます、みたいなことしか浮かばないのだ。
弱みをさらしても、深い所で分かってもらえないだろう、と私は思う。
彼女は好きだし見習いたいが、これは何かを読んで習得できるものではないのだろう。

回り道は大いに結構だと、今度kekeに言ってみよう。
どう説明すればいいのか分からないけれど。

そして、次に誓った『無償の愛』には届いてません。
努力はしてみますが、まだ人間ができてないようです。