鳶が鷹を生むという言葉がありますが、もちろんたとえ話であり、生物学的にはあり得ません。鳶が鷹を生んだように見えても、子がすごく立派な鳶だったり、親鳥が鳶のように見えても実は能を隠した鷹なのかもしれません。こうしたことが起きるのも、両親やその両親からという具合に、さまざまな可能性が受け継がれる有性生殖の利点でしょう。
もちろん、だからといって、誰にでもどんな可能性が秘められているというわけではなく、たいていの場合は、カエルの子はカエルというように、親の能力や形質が受け継がれるわけで、例えば、うちの倅が100mを10秒台で走れるわけもありません。
自分の力を顧みず、子どもに過大な期待をかける親の愚を犯すつもりは毛頭ありません。でも、親程度にはなれるだろう、あるいは頑張れば親を越えてくれるだろうというのは、それほど荒唐無稽な考えではないと思います。
何のことかというと、倅が持って帰ってきた体育測定の結果についてです。学年一律の評価ではなく、体格別に評価していて、倅の体格としては、そこそこの結果とのコメントが出ているのですが、運動能力の基本である、短距離走、中距離走は、私の中学時代と比べてもだいぶ下回っていました。別にくさす意味ではなく、親と同程度には出来るだろうという思いで、思わず「何、これ」と思わず言ってしまいました。
ちょっと満足していたらしい倅の気持ちに水を差してしまい悪いことを言ったと反省はしたものの、もっと出来るでしょうというのも正直な気持ちです(何も100mを12秒で走れと言っているわけでもなく、決して過大は期待ではないと思います)。幼稚園の頃から、散ドラに入ってもしばらくは、走る時に、左手だけが欽ちゃん走りの手のようで見ている分にはかわいいものの、これじゃあ力をロスするぞという走りでした。その後、腕の振りは直りましたが、体が軽い上に、指でしっかり地面を掴んでいないために、全然加速がつかない走り方で、なかなかスピードが出ていません。
裸足で野っ原を駆け回っていた親との違いなのだと思うのですが、走り方を知らないのだと思います。もちろん、私も本当に速く走る走り方は知らないのですが、自分なりの走り方の中で、「走ることの躍動感」を感じたことはあります。スピードが乗って、体が前に進んでいく感覚です。そんな感覚を味わってもらいたいと思います。もちろん、私の中学時代よりも倅の方が優っている点ももちろんあります。バッティングやピッチングなどは、私の中学時代よりは数段上です。体格は同じくらいでも、小学校時代から、野球で野球に必要な力を培ってきたからでしょうね。ここに、「走る」能力をぜひとも付け加えてほしいものです。
一昨日もらってきた野球部通信にも、それに近いことが書いてあったからでしょうか、私の失言に一瞬ムッとした倅も、走り方について聞いてきました。自分でも少し走り方を感じているのかもしれません。しかし、こればかりは中々口で言っても分かるものでもありません。散ドラ時代に気づいてくれれば、一緒に練習できたのにと思うのですけどね(今だって一緒にやればと言われればそれまでですが、ちょっと気恥ずかしいですね)。
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今日のジョグ
5.1km 30分49秒