八王子市散田町在住のスポーツ好き親父の戯言!

八王子市の学童野球チーム散田ドラゴンズ元管理人(2007年3月~2016年2月)のブログです。

計画停電。

2011年03月15日 21時44分45秒 | 管理人のこと、雑感

昨日は、結局最後のグループしか計画停電が実施されませんでした。それも、対象とされた区域のごく一部でした。

 

それに対して、今日は、朝からすべてのグループで計画停電が実施されました。ただし、昨日同様、対象区域のすべてが実施されるわけではなく、対象区域の一部の市町村のまた一部の地域ということです。変電所単位での送電停止であるため、行政区域と一致しないことが混乱の原因となっています。

 

私たちが住む八王子周辺は、第2グループということで、一番停電が厳しそうな午後6時20分~10時の予定でした。

 

準備は万端ではありませんが、一応、停電の前にやるべきことはうやっておこうということで、早めに風呂に入り、5時半頃から夕食を摂りました。

 

で、その6時20分を過ぎても電気は切れず、テレビでは最終の第2グループも計画停電を実施と報道していました。これは、八王子は対象から外れたかと思いました。

 

と思っていたら、ニュースで計画停電の様子を報じていて、暗闇の映像とともに八王子のテロップが見えました。自動車が照らす薄暗い風景を見ていて、見覚えがある風景だなあと思ってら、八王子市役所前の交差点でした。

 

本当にすぐ近くで停電は実施されていたんですね。3時間半は不自由でしょうが、こうしたことが4月いっぱい続くとしたら、早めに経験しておきたいという気持ちもありました。しかし、準備が十分でもないので、買占めパニックが収まって、多少装備が整ってからの方がいいかもしれません。

 

株価が猛烈な勢いで急落したり、ただでさえ巨額の財政赤字の中、これまた巨額の復興資金が必要になるなど、難題山積で、いずれにしても、日本全体が落ち着くまでにはしばらく時間を要しそうです。

 

しかし、今回の計画停電についても、それほどの非難の声はなく、日本全体で苦難を分かち合おうという声が大勢のように感じます。普段、いろいろ言われる若い人たちも、同じような意見の人が多いように思います。そういう意味では、日本の民度、倫理観、モラルというのはなかなか捨てたものではないと思いますし、実はこれは非常に大切な国力の源だと思います。

 

海外からも多くの支援をもらっています。こうしたことに応えるためにも、日本全体で前向きにこの試練を乗り越えていきたいですね。

 

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スポーツ界にも影響波及。

2011年03月15日 20時24分50秒 | スポーツ

連日の震災関連のニュースに飲み込まれていますが、春の訪れとともに本格化するスポーツ界にも影響が波及しています。

 

13日に開催予定だった名古屋国際女子マラソンが中止になったのに続き、サッカーJリーグは、余震や電力事情を考慮し、3月の全試合の中止を決定しました。東京で開催予定だったフィギュアスケート世界選手権も中止となりました。

 

そして、プロ野球も、本来なら間近に控えた開幕に向け、どんどん調子をあげていくべき時期ですが、思わぬ震災を受け、オープン戦が練習試合になるなど、影響を受けています。

 

中でも一番影響が深刻なのは、仙台を本拠地とする楽天ゴールデンイーグルスでしょう。球場は大丈夫なようですが、本拠地の状況を考えると、なかなか野球に集中できないとも思います。また、こんな時に、野球なんてという声が被災地からあがることも心配しているようです。

 

確かに、開幕予定の3月25日などはあまりに早急すぎる気がします。まともに寝たり、食べたり出来ないような状況が続く中では、生きることに精一杯で、とても野球どころではないからです。

 

しかし、これまでもいろんな試練を乗り越えてきたように、今回の震災もきっと少しずつ復旧していくはずです。その時には、きっと野球が人々を力づける原動力になるはずです。阪神大震災の時にも、オリックスブルーウェーブが「がんばろう!神戸」を合言葉に地元に勇気を与え、優勝しました。

 

今、被災地に必要なのは、とにかく水や食べ物、毛布などですが、少し落ち着いてくると、必要なものは少しずつ変化してきます。何とか生きるための術が落ち着いてきて、これからの生活を立て直すことに直面した時には、衣食住だけではない「何か」が必要になってきます。そんな「何か」になれるかどうか、楽天ゴールデンイーグルスにとっても試練の時です。

 

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危機的なことは何か。

2011年03月15日 09時19分41秒 | 管理人のこと、雑感

福島第一原発の2号機は相変わらず危険な状態が続き、今朝は、昨夜から水位が上がらず燃料棒がすべて露出し、空焚き状態になったのに続き、格納容器の圧力を抑えるための圧力抑制室付近で爆発音がして、損傷した可能性があるとの事故がありました。

 

これはこれで大変な危機ではありますが、9時前に行われた記者会見を見ていて、また別な危機も感じました。

 

事故からさまざまな事実関係、状況をまとめ、なおかつ、なるべく早く発表しようと、現場関係者、東電の関係者が努力をしているのだと思いますし、当然、こうした事態に対して、隠し事をしようなどどいう気はまったくないと思います。

 

それに対して、画面のこちら側に居並んでいるでろう記者たちの何と偉そうで、尊大なことかと見ていて、非常に気分が悪くなりました。

 

「これまでの会見でお詫びの言葉はなかったですが、今回お詫びを入れたのは、一線を越えたということですか」

(むしろ、これまでの会見でお詫びしてこなかったことを含めて、お詫びいたしますという回答に対して)

「それじゃ、答になっていませんよ。一線を越えたんですかと聞いているんです」

 

国語が出来る記者なら、「今回だけでなく今までもお詫びすべきでした」ということは、「今回だけ特別なことではありません」という意味だということが分かると思いますが、国語も分からない記者が、記者会見ごっこをやっています。

 

「何で職員を退避させたんですか(口調は詰問調)。危険があるから退避させたんじゃないですか(テレビドラマの刑事のよう)。はっきり言ったらどうですか」

「圧力が下がったということは、容器が損傷したってことじゃないんですか。もうはっきり言ったらどうですか」

 

これに対して担当者は、「損傷していることを目視で確認はしていません。可能性としては、圧力計器の故障も考えられます。現時点の事実としては、圧力抑制室付近で爆発音がして、圧力が下がったということです」と答えており、これが一番大切な推測を加えない事実だと思います。

 

冷静沈着に、事実と問題の核心をとらえるべきの記者たちが、集団ヒステリーに罹った単なる烏合の衆にしか見えませんでした。情けないことです。本人たちは社会記者のつもりなのでしょうが、海老蔵に群がる芸能記者とまったく変わりません。これも立派な危機のような気がしました。

 

一人冷静な声音の記者が、「損傷が生じた場合の(放射性物質の)出方は変わりますか。もう一点、原子炉圧力容器へ水を送り込む作業を続けていますか」という質問をしていました。まさに、危機の本質は、このことです。損傷が生じた場合の可能性と、燃料棒が空焚きを続け温度が上がって融けてしまうことであって、担当者を吊し上げたり、言った言わないの空しいやりとりをすることではないはずです。

 

なまじ、権力に近いような力を持つと、その使い方を分からずに、振り回す輩がいるものです。私などは何の力もないしがない市井の人間ですが、小さいとはいえ、例えば、子どもに対してとか、散ドラの部員に対しては、少しは力があります。変な使い方をしないように、自戒したいと思います。

 

あ~、少しすっきりしました。どこだか分かりませんが、抗議の電話をかけるところでした。何とか関係者の努力が実を結び、危機を克服するよう見守りたいを思います。

 

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日々刻々…

2011年03月14日 20時35分17秒 | 管理人のこと、雑感

人生で二度と経験しないかもしれない巨大地震の余波ですから、仕方がないことかもしれませんが、日々刻々と状況が変わっていきます。

 

まず、計画停電は、結局第5グループのごく一部だけで実施されただけで、私たちの地域を含む第2グループは、停電にはなりませんでした。それも、2時間程度のことですので、今後計画停電が実施されたとしても、当初想像していたような、毎日数時間定期的に停電することはなさそうです。節電が効いているのかもしれません。

 

鉄道関係も、夜になってだいぶ動き出しているようですし、今日の大混乱を受けて、明日以降は当然対応を変えてくると思われます。

 

そして、何もこんな時にと思いながら、学生たちにとっては、なくてはならない娘の修学旅行が、明日に迫っていましたが、出発を明後日に延期し、新幹線からバスに切り替え、集合場所も東京駅から学校近くに変更されました。

 

娘は修学旅行が一日減ってふくれていましたが、賢明な判断ですね。今日の学校までの大荷物の持参ですら、大混乱で多くの父母が車で学校まで送っていったのに、走るか走らないかわからない中、東京駅に8時集合というのは、どう考えても無茶です。

 

水曜日には、45kmのジョギングをして、午後にはカミさんの要望で町田のコストコに買い物にでかけました(東京で被災者を出したあのコストコです。たった二日後の同じくらいの時間に、自分たちが通ったスロープが崩壊し、日常と非日常が同居していることを感じました)。

  

そして、一日おいて、地震が起きた金曜日の夜には、夕方から深夜にかけ、20kmにわたって歩きました。途中、卒業式で事故があった九段会館の前を通ったり、高台の墓地が崩れおちているのを目にしたりしました。人々は黙々と歩き、時折、まったくの民間の方がお茶のサービスをしたりして頭が下がる思いでした。

 

さらに一日置いた昨日の日曜日は、朝からクリーン作戦と散ドラ活動に参加し、午後には金曜日に娘が地震のために学校からそのまま乗って帰ってきた自転車を学校の最寄駅の駐輪場に戻しに行って、少し普通の生活に戻った気がしていました。

 

しかし、今日の計画停電とそれに伴う鉄道の運休で、また普通の日常が大きく揺らぎました。このあともまだまだいろんなことが日々刻々と変わっていくでしょうし、それはそれで仕方ないと思いますし、日本人はそれに耐えるだけの力を持っていると思います。そのためにも、迅速で的確な情報開示を心掛けてほしと思います。

 

と思っていたら、また福島第一原発の2号機で燃料棒が水面から完全に露出し、空焚き状態となり、炉心が溶融する危険性が出てきました。地震そのものの早期復旧とは別の難題を抱えてしまっていますが、何とか総力をあげて、この危機を食い止めてほしいです。

 

そして、そういう危機を乗り越えるために必要なことは何かについて思ったことです。計画停電についての記者会見で、東電の関係者を問い詰めるかのように矢継早に質問を投げつけるマスコミの記者たちが大半でした。今回の東電のやり方が稚拙で、乱暴だったのは、私も認めるところですが、それに対して、記者たちが担当者を吊し上げるような記者会見をやったところで事態は一向に解決しません。冷静に事実を確認し、今後の見通しを明らかにするのが記者の努めであって、自らが正義を体現しているかのように過信するのは百害あって一利なしです。このようにマスコミであれば何をしても、聞いても許される、相手を裁いたっていいというような態度が、日本の未熟なマスコミ人にはまま見られますが、ここは何が本質で、何が大切なことなのかをしっかり考えてほしいと思います。

 

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いやはや…

2011年03月14日 16時23分49秒 | 管理人のこと、雑感

東京電力の計画停電で、私たちが住む地域は、第2グループなのだそうです。第2グループの停電予定時間は、以下の通りです。

 

  (1回目)9時20分~13時

  (2回目)18時20分~22時

 

一日3時間程度という話だったのに、コアな時間帯に2回も予定されるなど、結構割に合わないグループですが、1回目は見送りになりました。

 

呑気な我が家も、さすがに夕方6時頃から停電になったら大変だということで、昼過ぎに買い物に出かけましたが、エコスは営業しておらず、イトーヨーカ堂もめぼしいものは大方なくなっていました。特に、カップ麺・インスタントラーメン類は皆無でした。

 

また、椚田遺跡通りは、ガソリンスタンドへの行列で高専の交差点からめじろ台駅から下ってきた交差点まで車がつながっていました。ガソリンと灯油の両方を買い求める人でしょうが、やはり情報が不十分なため、ややオイルショック時のようなパニック買いに近い状況になってきていますね。

 

結局のところ、第4グループまでは計画停電は実施されておりませんが、これから夕方の最需要時間帯に入ることから、第5グループは計画停電を実施する可能性が極めて高いそうです。また、私たちの地域が含まれる第2グループも、まだ停電の可能性は捨てきれないそうです。ただ、第5グループも2時間程度で、すべての地域ではないようです。

 

停電しないとしても、何とか節電に努め、全体として停電する時間が少なくなるようにしたいですね。また、今日の交通機関の混乱を受け、国交省は鉄道事業者を計画停電の対象から外すか、時間を縮小するか、時間を固定するかの対応をするように、東電に指導するよう、資源エネルギー庁長官に要望したそうです。今日一日は、初めてのことばかりで大混乱を極めましたが、このことに学んで明日以降の円滑な対応が取れるかどうかで、日本の対応力が問われますね。

 

海外からは日本の冷静な対応ぶりが評価されていますが、今日のような混乱が日常になっては、さすがに我慢強い国民も黙っていないでしょうからね。

 

東京電力は、福島の原発問題と計画停電問題の二正面作戦で非常に大変なのは分かりますが、国を支えるインフラですから何とかがんばってほしですし、鉄道も同じく大動脈ですから、普段はライバル同士でもしっかり連携して、取り組んでほしいものです。特に、地震当日、私鉄各社が懸命に復旧した中、まったく完全にストップしていたJR東日本には特段のがんばりを期待したいですね。

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大混乱…だったのでしょうね。

2011年03月14日 13時43分09秒 | 管理人のこと、雑感

今日は、地震後の週末をはさんで、企業が動き出す月曜日でしたが、東京電力の計画停電に関連して、鉄道各社が大幅な運休、本数制限をして、大混乱だったようです。週末は帰宅難民、週始めは通勤難民と大変だったようです。ようですというのは、別な意味で私は大混乱だったのですが、結局鉄道には乗れなかったからです。

 

私の働くビルは地震で損傷し、絶対に使用不可だと思っていたのですが、検査の結果、補修すれば大丈夫だということになり(本当かといまだに疑心暗鬼なのですが)、とりあえず、今日は作業できる格好で出勤し、建物内の片づけをすることになっていました。

 

一方、高校生の娘は、明日から修学旅行です。大きな荷物は予め回収し、宿舎に送る手はずになっており、娘を最寄駅まで車で送っていくことにしていました。回収時間が学校で8時~8時半の間ということだったので、余裕を持って6時40分過ぎに家を出ました。

 

で、駅に着くと、「あれれ…電車が動いてない」です。家を出る前にニュースで「中央線は運転中」と聞いただけで、立川から先は動いていないということは聞き逃していたようです。今日荷物を送れないと、明日持って直接東京駅に行くことになりますし、今日のようなことになったら大荷物を抱えて大変です。そこで、私もすぐに会社に行ける状況ではなさそうだたので、とりあえず車でそのまま学校まで送っていくことにしました。

 

まだ早い時間だったからでしょうか、最初は順調でしたが、大和田橋の手前あたりから混み始ました。また、日野大阪上あたりからも渋滞し、日野橋を抜けるあたりまでがだいぶ時間がかかりました。この辺であと30分といったところでしょうか。昨日のプチ・トライアスロンも良い予行練習となり道にも迷わず、日野橋を抜けたあとは順調でしたが、道が細くなる学校の本当に近くになって、再び激しい渋滞と、迷路のような道となり方向音痴の娘に聞いてもよく分かりません(こんな時にはナビがあったらと切に思います)。

 

残り10分を切ったところで、娘が見覚えのある建物に出たので、娘に連絡を寄越すように言って、走って行くように、娘をおろしました。娘はキャリーバッグをゴロゴロ引きずって走っていきました。。。

 

念のため、迷路のような細い道を手さぐりするように学校を見つけ、そばに停めて、連絡を待ちました。すると、すぐに連絡があって、「残り2分~とか周りから言われながら、必死に走って8時半に間に合ったのに、9時までに延長になってた。そして、〇〇は知っていたのに、なぜか私には連絡がない。あんなに走ったのに。それと、今日は学校なくなったから、そのまま乗っけてもらって帰るようにだって」。

 

ということで、また娘を乗せて、家に戻ることにしました。ここで娘に自分の携帯を預けて、口述筆記をさせて、メールを打たせました。その前には、京王で行きますと会社に連絡してあったのですが、京王線も9時以降は調布から西は動かなくなるので、「西武新宿線が動いていれば、拝島まで出る術を探して出勤します」との内容です。

 

しかし、帰りもまたまた渋滞がひどかったです。多摩西部で鉄道が動いていない状況で、私のようにどうしても急ぎの人は車で動いているでしょうから当然です。甲州街道の本道は混んでいるのが目に見えているので、日野バイパスに入り、途中までは順調でしたが、本道に合流する高倉町に近づくにつれ、渋滞が始まります。そこで、横道に逸れていくタクシーについて迂回し、石川入口の交差点までは順調に来ましたが、やはりこの交差点がまったく動きません。ここで左折して甲州街道に入っても、状況は変わらないので、先頭に来た時に北八王子・小宮方面に直進し、大和田小学校東を左折し、ひよどり山トンネル方面からずっと脇道を抜けて家に戻りました。10時半過ぎになっていました。

 

で、鉄道の状況を確認すると、頼みの西武も午後からは西武新宿駅と鷺ノ宮間のみの運転とのことです。そもそも拝島への八高線も動いていませんし、バスを乗り継いでもどれくらいかかるか分かりません。申し訳ないと思いながらも、今日の出勤を断念し、その旨を会社にメールしました。

 

計画停電や鉄道運行状況を知らせるデータ放送をそのまま見ていると、「11時30分から立川~高尾間も運転を始めました」と出てきました。「こりゃいかん、出勤するか」と思い立ち上がりますが、冷静になると、帰って来られるのかどうかも分かりません。一旦電話してからと思いますが、電話もつながらず、行くべきか待つべきか、迷います。と、その時、折り返し電話がかかってきて、「今日の作業は終了。明日は待機」との連絡でした。「あ~良かった、行かなくて」です。明日は待機、明後日は休みで、木曜は出勤予定ですが、今日のような有様だと本当に困ります。

 

中央線が動いていればいいですが、今朝のように止まってしまうと、京王線で出勤は出来るでしょうが、今度は帰ってくることが出来ません。計画停電に協力することにやぶさかでは、まったくありませんが、いろいろ批判があるように、情報の周知・統制がなさすぎです。計画停電を見送って、電車が止まっていることの方が大混乱で、停電をさせても、社会インフラは出来るだけ動かすべきでしょうし、止めるにしても、もう少し各路線で協調体制を取るべきでしょう。今朝のように、八王子など多摩西部地域だけ孤立するような運休ではなく、各社で連携して、何らかの移動手段をとれるようにすべきでしょう。

 

いや、参りました。明日の娘の修学旅行もどうなることやらです。親としては心配なので、中止にしてほしですが、娘しては、中止になったら生きていけないという勢いです。本当に節電、計画停電に協力するのに、やぶさかではありませんが、本当に計画的に、混乱なく、等しく負担を分け合えるような形で行ってほしものです。

 

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プチ・トライアスロン?

2011年03月13日 19時27分03秒 | Jog&Walk,Health

これも地震の余波の話です。先日の地震の際、高校生の娘は学校にいました。全校生徒はしばらく、学校で待機していましたが、鉄道の復旧の見込みがないということで、帰れる生徒を返すことにしたそうです。そこで、娘は道を知っている友達と甲州街道まで出て、2時間かけて自転車で家に帰ったそうです。

 

一度、「全チャリ」(学校から家まで全部自転車で帰ること?の意)をしたかったそうですが、今回、地震という不可抗力で実現したことになります。しかし、一度したかっただけで、二度とはしたくないそうです。で、問題は、その自転車をどうするかです。そこで、優しいお父さんとして、自転車を元に戻してあげることにしました。

 

ということで、散ドラの練習を終えて、昼食を摂ったあと、立川の先の方まで自転車に乗って出かけました。もちろん、さっそうとした格好のロードレーサーではなく、ママチャリです。甲州街道に出て、黙々と東に進み、日野橋を渡ってからさらに東に向かい、娘の高校の最寄駅の駐輪場に自転車を戻しました。1時間ちょっとで着きました。

 

先日の水曜日に45km走ったばかりですし、金曜日の夜には革靴のまま20kmも歩きましたので、ちょっとダメージが残っているのですが、今日のジョギングにあてることにしました。ちょっときつかったですが、本当にゆっくりゆっくりと戻ってきました。

 

鉄人と称されるには程遠い、ママチャリととぼとぼジョギングですが、トライアスロンのような一日でした。

 

今日のジョグ

 自転車   18.5km  1時間14分13秒

 ジョギング  15.5km  1時間31分01秒

 

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今日の練習(クリーン作戦と審判講習会)。

2011年03月13日 13時36分20秒 | 散ドラ諸君への喝!

昨日の練習試合は、地震の影響もあり中止となり、練習も中止しました。今日は、8時30分に散田小に集合し、ランニング・体操までしたところで、横山地区クリーン作戦に参加するために、中散田公園に移動しました。

 

今日のクリーン作戦は、今回の大地震を受けて、いつもと違って防災訓練を兼ねたような形式になりました。建て直された横山中学校は、この辺りではもっとも頑丈な施設であり、広域避難場所となっています。その避難場所まで安全に移動しようというものです(しかし、子どもたちは、そんな意図はまったく聞いていない感じでしたね)。横中に戻り、そういう主旨の話があり、恒例の豚汁をいただきましたが、残ったのは3人だけで、残りは散田小に戻ってしまいました。練習熱心なんだか、じっとしていられないだけなんだか…。

 

10時半頃にみんなが戻ってダッシュからの練習再開となりました。先に戻っていた部員は、二度目となったようですが、好きで戻っていたのだから仕方ありません。文句を言うのは筋違いです。キャッチボール、トスバッティングをすると、11時を回っているので、バッティングはせずに2ヶ所でノックをして、最後ベースランニングで終了となりました。

 

ノックでは、強い球をと要求されたので、強い球を打ちましたが、一向に捕れません。そこで、ゆるい球を打つので、基本に忠実に腰を落として、両手で包むようにボールを捕ってみるように言いました。が、しかし、です。それでも、やっぱり捕れません。そもそも基本が出来ていないということです。本格的な春を迎える前に、しっかり基本から見直そう。

 

ノックの終わり頃には、審判講習会に参加していたメンバーが帰ってきました。久しぶりの一徹コーチ、父母会長、カズ父、ヒビキ父などが参加したようです。ご苦労さまです。一徹コーチも少し落ち着き、これからは参加できるようになるとのことです。良かったですね。

 

練習を終えて、横中を見ると、野球部が練習をしていました。ところが、グランドで野球をしているメンバーと、グランドの周りを走っているメンバーがいます。これは、先日問題を起こした部員たちのお仕置きのようです。うちの倅を筆頭に、散ドラOBがチラホラと…。頼むから、ちゃんと野球をやれるようになってください!

 

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忘れられない日

2011年03月12日 21時35分23秒 | 管理人のこと、雑感

阪神淡路大震災は、1995年1月17日に起きました。関東からは遠い関西での出来事でしたが、あまりの出来事にいまだに忘れられない日です。

 

まだ、中野区の社宅に住んでいる時でした。仕事に出かける準備をして出かけるまで、ずっとテレビニュースを見ていたことを今でも鮮明に覚えています。朝もやにけむるような神戸の街の遠景の画面のところどころに、狼煙のように火事の煙がたなびいていました。

 

その時点では、被害状況の詳細は分かっていませんでしたが、「これはとんでもないことになった」ということが画面を通しても伝わってきました。

 

昨日3月11日(金)の地震も同じです。東京にいる自分自身が本当に命の危険を感じるような揺れを感じ、その後、震源が遠く離れた宮城沖だという報道を聞き、「これはとんでもないことになる」と感じました。

 

昨夜、やっとのことで帰宅してそれまでワンセグなどで断片的に見ていた情報をテレビで確認すると、本当にとんでもないことになっていました。阪神大震災のような火もありましたが、今回の巨大地震の恐ろしさは、津波でした。東北・北海道の海岸沿いの人は、津波の怖さは知っていますが、ここまでの津波を経験した人は当然いません。地震後30分から1時間ほどの時間はあったようですが、お年寄りなど体の自由がきかない人はすぐに避難できなかった可能性はあります。そして、浜辺だけでなく、数キロにもわたって流れ込む巨大津波では、逃れようもなかったでしょう。

 

そして、2時46分の最初の揺れは、宮城沖でマグニチュード8.8という日本観測史上最大の巨大地震だったことに加え、十数分後の余震もマグニチュード7台で場所は、茨城沖まで南下し、さらに岩手沖でも同規模の余震が起きるなど、広範囲にわたったことが、この地震の巨大さを表しています(13日マグニチュード9.0と修正されました)。

 

さらに、震源地に近い福島原発の炉心の溶解が始まり、それを止めるために、一部放射能を含むガスを放出する作業をしてるさなかに、爆発が起きて、一気に緊張が走りました。最悪の事態は避けられたようですが、まだまあ予断を許さない状況です。

 

3月11日も忘れられない日となりそうです。被災者の方には、一刻も早く、飲み物、食べ物、暖かくして寝られる場所を確保してあげてほしいですし、落ち着いてからは、一日も早く生活を立て直す手段を講じてほしいと思います。私たちも、できる限りのことをしたいですね。

 

 

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何とも言えません…巨大地震

2011年03月12日 03時22分29秒 | 管理人のこと、雑感

あまりの惨状に言葉もありません。震源地近くの東北地方の被害の大きさは目を覆うばかりですが、少しでも多くの人が救出されることを願ってやみません。

 

10年ちょっと前の阪神淡路大震災の時は、遠く離れた土地のことだったので、いろいろなことを案じながらも、どうしてもやはり外から見ている面がありましたが、今回はまったく他人事ではありませんでした。

 

今回の地震

私の職場は、賃貸していたオフィスビルの建て替えのために立ち退き、約一年前に自社物件のビルに移転しましたが、そのビルは増築した建物でした。そして、震源から遠い東京で恥ずかしながら、耐震工事をしていなかったために、この増築部分が激しく揺れて、明らかに今後の執務不可能な状態になりました。

 

実は、この増築の継ぎ目部分に私のデスクはあって、揺れているさなか、真上の天井や足元の床が地割のようにずれ、真剣に死ぬかと思いました。地震はもちろん好きではないものの、これまで死ぬと思ったことはありませんが、冗談ではなく、今回は本当に死ぬのではないかと思うほどの揺れと、ビルのボロさでした。

 

とりあえず、一旦近くの小学校へ避難した後も、余震のたびに周囲のビルが明らかに揺れているのが見えました。当然、携帯は通じづらくなっていましたが、何度か試みるうちに家族の安否が確認でき、とりあえずはほっとしました。

 

帰宅難民

小一時間ほどして一旦事務所に戻り、職場単位でヘルメットをして建物に入り、荷物を取り、建物は封鎖して、帰宅することになりました。たまたま、職場のメンバー7名のうち、4名が多摩地域なので、とりあえず復旧の可能性が高いであろうと読んで、西武新宿線を目指すことにしました。時間は16時頃だったのだと思います。

 

新宿についても、当然復旧しておらず、そのまま青梅街道を4名プラス他の多摩メンバー2名でチームを組んで歩きました。よく、TV番組などで、帰宅難民のシミュレーションなどをしているのを見ましたが、本当にそんことが起きて、自分がその当事者になろうとは思いませんでした。

 

途中、寒さのためトイレに行くため、新宿付近で喫茶店に入ったり、中野付近のスーパーに入り、ついでに食料を確保したり、杉並区役所に入ったりしました。基幹道路の青梅街道はTV番組のシミュレーション通りの人混みで、自分のペースで歩くのがつらいほどでした。

 

メンバーは50過ぎ2名、私と同じくらいの40代半ば3名、40ちょっと1名という構成でしたが、一番若いメンバーが、靴が合わずに足が痛くなり、上石神井あたりでちょっと休もうということになりました。しかし、道路沿いのファミレスなどは、どこも灯りを落として閉店している店が大半です。そんな中、華屋与兵衛が開いていたので、入りました。22時過ぎだったと思います。しかし、ドアは外れているは、ダクトや壁が落ちて、使えないテーブルはあるは、待合席の壁はひび割れて、ソファーに粉が落ちているなど、営業しているのが不思議なほどでした。しかし、私たちのような帰宅難民には非常にありがたく、オーダーをしてから、なかなか出てこなくても、体は温まり、落ち着くことが出来ました。

 

また、幸いだったのは、音をあげた後輩がスマートフォンを駆使して、情報収集すると、現在地からほど近い西武新宿線が運転を再開したとの情報をゲットしたことです。食事を終えて、西武新宿線の上石神井駅を目指す途中、ほかのメンバーが西武新宿駅にいた別な人間とやりとりすると、始発駅ゆえの混雑で入場規制をされているとのことでした。

 

歩いて距離を稼いだわれわれは、上石神井駅で23時過ぎに無事に拝島行きの列車に乗り込むことが出来ました。それでも約20kmを歩いた計算になります。運動靴ならともかく、革靴で寒空の下の帰宅難民が本当につらいということがよくわかりました。列車に乗り込み、一息つきながら、小川駅で一人降り、玉川上水で二人降り、終点の拝島まで行ったのは二人でしたが、私は拝島からでもまだ10kmほどあります。歩けないことはありませんが、一休みしたあとになかなか2時間くらいかけて歩く元気はありません。

 

すると、もう一人の職場の先輩の息子が車で迎えにきてくれており、八王子まで送ってくれました。ということで、日付は変わりましたが、それほどひどい状況にならずに午前1時には帰宅することが出来ました。本当に助かりましたし、一人ではなく、メンバーで助け合うことの大切さを改めて思いました。

 

本当にひどい一日でしたが、命があっただけでも本当に良かったと思います。繰り返しになりますが、東北地方の被害が心配ですし、全力をあげて救出にあたってほしいと思います。

 

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攻防

2011年03月10日 23時31分03秒 | Jog&Walk,Health

昨年10月にタバコが値上げされても、結局のところそれほど禁煙をする人が増えなかったという結果になっているようです。

 

そんな中、大手企業の資生堂が国内の事務所・工場を全面禁煙にすると発表しました。喫煙者に「配慮」し、一年間は昼休みに限り、喫煙所での喫煙を認めるのとことですが、配慮よりも、厳しさの方が目立つ対応です。

 

既に、学校など公共の場所では導入されていた動きですが、遂に民間の大手企業にも広がってきたのかという感じですね。数年前に、下着メーカーのトリンプが社内禁煙に踏み切った時には、だいぶ最先端すぎる対応に見えましたが、今ではそれほど違和感のないことになっています。

 

私が禁煙できたのは2年半前ですが、本当にタイミング的にはちょうどいい時期だったと思います。私は、やはり包囲網がどんどん狭まってくることが、心理的に負担で、出来たらやめたいとずっと思っていましたが、ここから先の愛煙家と世の中の動きは、激しい攻防が続きそうですね。しかし、守勢に回ったが方が不利なのは勝負の鉄則なので、愛煙家には厳しい戦いが続きそうですね。

 

愛煙家にエールを送るのも不謹慎な気がしますから、ここは「こちら側」に来るようにお誘いして、一緒に走ることをお勧めしたいですね。

 

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今日のジョグ

は、当然のことながら、休養です。

 

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めげずに前進!!

2011年03月09日 23時18分52秒 | 中学野球

先日、横山中学野球部は一中と練習試合を行い、1対4と敗れはしましたが、エースが投げれば、そこそこの戦いが出来ると、書きました。

 

今日、倅に「一中もそれほど強いって感じじゃないね」と話すと、「レギュラーが二人出ていたんだって」との答えです。

 

「???」目が点になってしまいました。レギュラーを二人欠いていたではなく、二人出ていた、です。なめられたわけではないでしょうが、どんだけ強いんだという感じです。

 

しかし、レギュラーが出ていないからといって、エースF君が通用しないとは思いません。バックがしっかり守り、打つ方でも、しっかり細かい野球をやり切れれば、秋冬連覇の強豪にだって勝てると思います。めげずに前進することが必要です

 

そのためにも、キャプテン、副キャプテンの下、チームがしっかり一丸となることが必要です。しかし、今日、そんな期待を裏切ることがあり、副校長からわざわざお電話をいただきました。その行為自体は、目くじらを立てるほどのものではありませんが(副校長すみません)、もっと大人になり、そうしたくだらないことをしない「自覚」をもってほしいですね。

 

そういうことも含めて、今が、成長の時です。勝ち負けの結果以前に、そういう精神面の成長の方が大事だと思いますし、それがあれば、結果も付いてくるような気がします

 

頼むぞ!キャプテン、副キャプテン!!

 

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フルマラソン(と同じ距離)を完走しました!

2011年03月09日 18時53分07秒 | Jog&Walk,Health

昨夜は職場の歓迎会だったので、ジョギングを出来ませんでした。そして、レースの前の晩にはアルコールは摂らないようにするのが鉄則ですが、最近長い距離を走っていませんし、前に最長走行距離を走ったのが、一年以上前の1月だったので(「ぽかぽか陽気に誘われて…多摩川まで行きました」、心の中で、今日はちょっと長い距離、出来れば40km以上を走ろうと決めていました。

 

二日酔いではありませんが、肝臓のグリコーゲンは昨夜のアルコールの代謝に消費され枯渇していると思われます。しかし、今日は長時間のジョギングなので、朝食をしっかり取って、消化されるのを待っていると時間がなくなるので、ウィダーインゼリーとソイジョイで簡単に済ませ、7時頃に家を出ます。

 

Dscn0762 

浅川の横山橋が実質的なスタートのようなものです。7時の八王子は、-0.1℃とまだまだとても寒かったです。 

 

 

 

 

 

 

Dscn0764

1:01:22  10.9km地点 

浅川を下り、長沼橋の先で土手の道が途切れるので、京王線に併走する北野街道に出て、日野市に入ります。

5分37秒/km

 

 

 

Dscn0765   

高幡橋から再び浅川沿いに入ると、モノレールが見えます。その先は、もうすぐ多摩川です。

 

 

 

 

 

  

Dscn0766

33:02(累計1:34:24)  17.1km地点

浅川右岸 多摩川から0kmという杭があります。多摩市はもう少し先ですが、3市目に入ります。

5分19秒/km 

 

 

 

Dscn0767 

上の杭の5mくらい先には、「多摩川右岸  海から37km」とあります。さすがに海まではいけません

 

 

 

 

 

Dscn0768  

1kmほどいくと、聖蹟桜ヶ丘の京王SCです。普通は後ろからは見ませんから、結構地味ですね。 

 

 

 

 

 

Dscn0769 

15:19 (累計1:49:44) 19.8km地点

聖跡桜ヶ丘の先、鎌倉街道から府中市に入ります。水飲み場が見つからず、スポーツ飲料を買い、今日はポーチを付けてないので、手に持ったまま走ります。

5分40秒/km

 

 

 

Dscn0770 

25:46(累計2:15:30)  24.6km地点

鎌倉街道突き当りを左折すると国立市です。この少し前に、ほんのちょっとだけ国分寺市内藤を横切るので、6市目です。

5分22秒/km 

 

 

 

Dscn0773 

18:25(累計2:33:55)  28km地点

標識がなかったので写真はありませんが、立川二中のとこで立川市に入ります。

5分25秒/km

タカシマヤの前を抜け、昭和記念公園に向かいます。 

 

 

Dscn077418:07(累計2:52:02)  31.2km地点

昭和公園前の西立川駅から昭島市です。これで8市目です。この辺りから、足取りがだいぶ重くなります。

5分39秒/km

 

 

 

Dscn0775 

23:28(累計3:15:31)  35.3km地点

新奥多摩街道を越えて多摩大橋を渡ると、八王子市に戻ってきました。が、かなりヘロヘロです

5分43秒/km

 

 

 

 

で、八王子市に入ってからの最後の10kmが本当にきつかった。多摩大橋を越えてすぐ、八高線を超える小宮陸橋というのがあるのですが、この坂のきついこときついこと。マラソン終盤での上りのきつさを実感しました。

 

このあと、ひたすら南へ下り、大和田小東で右折し、ひよどり山トンネル方面に向かいます。郵便局の手前のコンビニでウィダーを購入し、今さらですが、エネルギー補給。

 

浅川大橋を渡って再度浅川に入ります。この時点で40kmですが、この時点では知るよしもありませんから、走るのをやめたい気持ちをこらえ、何とかトボトボ走ります。たぶん、早歩きの人よりも遅いくらではなかったかと思います

 

そして、市役所付近で、42.195kmをクリアしていましたが、やはり距離が分からないので、走ります。しかし、ふくらはぎがピクピクとつる気配を見せ、何とかだましだまし進みます。水無瀬橋を越えると、いよいよやばくなってきて、富士森高校のあたりでやめようかと思いますが、そこに着くと、甲州街道まで、そこまで着くと、中央線を越えて、けやき通りまでと、いうことで、結局、中散田会館の前を通って、けやき通りでゴールとしました。

  

最後の10kmは情けないほどペースが落ちました。そして、家に着いて靴を脱ごうとすると、足がピキっとつりました。慌てて足を伸ばし、情けないですが、カミさんに脱がしてもらおうと呼びますが、どこかへ出かけたようで、クロが「ワンワン」と言うばかりです。仕方なく、何とか足がつらない体勢を見つけて、靴を脱ぎ、また足がつらないような体勢を探して階段を上り、足がつらない体勢を探して服を脱ぎ、シャワーを浴びました。まだ冬の気候でしたが、体重は1.5kg減っていました。

 

これはあくまでジョギングであり、レースとはまったく別物ですが、それでも、マラソンと同じ距離を走れたということは自信になります。しかし、前に最長距離を走った時と比べると、格段にきつかったような気がします。結果的には、10km近く距離を伸ばしたこともありますが、やはり前日からのコンディション作りもあると思います。やはり、びしっと走る前は、お酒はやめましょう!

1:07:01(累計4:22:33)  45.1km地点

6分50秒/km

 

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今日のジョグ

 4時間22分33秒 45.1km 5分49秒/km

 

 

 

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ひどい一日…

2011年03月07日 22時26分39秒 | Jog&Walk,Health

昨日、散ドラと横中野球部とジョギングで一粒で三度おいしいなんて軽口を叩いていたら、今日はひどい一日でした。一粒の花粉でずっと苦しむという感じでした。

 

今朝は目覚める前から雨音が聞こえていましたが、家を出る頃には、結構な雪に変わってしました。雨や雪の日には、花粉はあまり飛びませんが、ぽかぽか陽気の昨日、散ドラ→横中の試合→クロの散歩→ジョギングと、8時30分から17時30分までほぼ終日外にいたことが響きました。

 

たっぷり花粉を吸いこんで、昨日の午後から鼻はグズグズしていましたが、本当にひどくなったのは、今日になってからです。何時ころかは分かりませんが、夜中に息が詰まりそうになって目が覚めました。鼻が完全につまって、口でしか息ができなくなって、死ぬかと思いました。かと思えば、自分の意思とは関係なく、鼻水がツーっと垂れてきて、慌ててティッシュに手を伸ばしたりと、一晩中鼻と格闘し、熟睡できませんでした。ここ数年なかったような気がします。

 

おかげで、目覚ましの音で起きたものの、スヌースの間にうつらうつらとして、寝過ごしてしまいました。雨が降っていたので、クロの散歩にいかなくて済んだので、何とか遅刻せずにすみましたが、鼻はグズグズ、足元はグチャグチャでした。

 

会社に行っても、鼻づまりとグズグズが交互にくるような最悪な一日でした。家を出る時に点鼻薬をさしてきましたが、まったく効いていなかったようなので、堪らず昼過ぎに点鼻薬を買いに行きました。すると、同じ会社の人間が花粉症コーナーの前に佇んでいました。彼は今朝、目が開かなかったそうです。目はマスクをするわけにはいかないので大変ですね(かくいう私は、メガネが曇るしモワモワして気持ち悪いので、マスクはしませんし、市販の点鼻薬だけですが)。

 

花粉症歴30年で、だいぶ症状が軽くなってきていると思っていて、例年の2倍~10倍と言われる今年も別に大したことはないと思っていましたが、見事にしっぺ返しを食った格好です。あと2か月、何とか謙虚に乗り切りたいものです。

 

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横山中学野球部の練習試合(一中戦、東村山一中戦)

2011年03月06日 22時12分03秒 | 中学野球

横山中対一中戦

横中野球部は、今日は一中と東村山一中と練習試合です。最初は以前練習試合でこてんぱんに負け、秋冬連覇をしている一中です。散ドラのキャッチボールまで終えて、横中に移動すると、3回を終えて、0対1で負けていました。負けてはいますが、互角のスコアです。ただ、相手投手の球速はそれほどでもなく、エースとは思えません。

 

4回表は、倅からの打順で、中前ヒット・二三盗塁から、一死後、カズトの右前ヒットで1点を返し同点に追いつきました!

しかし、裏、中前のテキサスヒット、犠打、四球、盗塁から中前ヒットで2点を失い、再度逆転されました。中前ヒットは二塁が絶対に届かない当たりではありませんでしたし、中前ヒットで二塁走者をやすやすと返すのも課題ですね。

 

5回表、一死からM君のライト前ヒットを後ろにそらして三進し、続くミノルは四球で、ここで一中はエースとおぼしき投手に交代。さらに二死後、Ⅰ君も四球で、二死満塁の絶好のチャンス!ここで打者は、な、な、なんと倅。しかし、速球を二球続けて見逃し、お約束のように、三球目の変化球で空振り三振に取られました。ここは積極的に打っていく場面でした。

 

このチャンスを逃したのが大きく、その後も、一中に1点を追加され、結局1対4で敗れました。しかし、0対15で敗れたことを考えると、進歩ですし、エースがしっかりしていれば、そこそこ戦えることを証明しましたが、負けは負けです。各自がその差がどこにあるのかをしっかり考えることが必要ですね。

Dscn0759  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

横山中対東村山一中戦 

第3試合の横山中対東村山一中戦は、午後1時40分頃から始まりました。この試合は、倅とカズトのバッテリーとなったため、サードⅠ君、ショートキャプテン、ファーストF君、ライトマーと布陣が変更になりました。

Dscn0761  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

横中は初回、キャプテンの右中間二塁打を足がかりに、倅の内野ゴロ、暴騰で2点を先制し、3回にも、キャプテンのヒットを足がかりに、相手エラー、Ⅰ君の左前ヒット、死球、エラー、カズトテキサス安打などで4点を追加。4回にもテキサス安打や相手エラーで1点を入れ、序盤に7点を入れる順調な攻撃でした。

 

一方、倅のピッチングも、序盤は見事でした。初回は、ヒット1本は打たれましたが、それ以外は2フライ、6ゴロ、5フライ、2回は3ゴロ、2フライ、三振、3回は中越え二塁打で1点を失うも、4回は5ゴロ、三振、7フライと盤石な出来でした。

 

しかし、魔の5回でした。先頭を中前ヒットで出すと、次打者は3ゴロで二塁封殺。しかし、次打者左前ヒットで再びピンチ。ここでタイムをとって内野が集まって、何やら相談。ピックオフプレーの確認だったようですが、これが裏目に出て、一塁悪送球で1失点、左前ヒットで1失点、左越え本塁打で2失点。なおも、四球、左前ヒットでピンチが続くが、後続を三振、5ゴロで何とかチェンジとなりましたが、2点差まで詰め寄られました。倅は相手投手に比べるとそこそこ球威がありますが、ほどほどの速球なので、二回り目になり、一本調子になると、合わされる感じです。もう少し、緩急と低めへの制球を磨くと、エースと並ぶ二枚看板になるのでしょうけどね。

 

一方、横中の攻撃は、後半は相手軟投派投手を待ちきれず凡打の山を築く、いつもの横中パターンにはまってきます。守りでは、5ゴロで一死のあと、右越えヒットを打たれますが、マーから中継を経て二塁で捕殺し、後続も三振で三者凡退となりました。

 

そして、最終回、横中は相変わらずタイミングが合わずに、無得点。倅のピッチングの課題とは別に、ここからは2点という点差を考えて、いかに「勝つ野球」をするかが問われます

 

しかし、倅は先頭を四球で出す、散ドラ時代のダメなパターンです。投ゴロで一死とした後、暴投、四球で一三塁のピンチとなります。走者が還れば同点ということで、ベンチからは「一塁ランナーを絶対返してはダメだよ~」と声が飛びます。

ここで三塁への偽投で一塁ランナーが飛び出し、倅が二塁へ追い込み、ショートに送球します。ここで、三塁走者が本塁突入し、ショートⅠ君はタッチせずに本塁送球しますが、間に合わずに1点差に詰め寄られます。ここで、顧問のT先生が「今なんて言ってたんだ~」と言って、Ⅰ君に交代を命じました。この場面、1点を失っても、同点の一塁ランナーを消すことの方が大事だったわけですから、厳しいですが、仕方ありません。しかし、手堅い守備のⅠ君が退いて守備に不安は残ります。キャプテンもこの回から退いています。

 

しかし、このあと何とか最後は踏ん張って、3フライ、5フライと打ち取って、ゲームセットとなりました。7対6と薄氷の勝利でした。何とか勝ちという結果を手にしたという点では成果がありましたが、攻撃面、守備面で課題は山積ですね。そこそこの実力はあるとは思いますが、満足したら成長はありませんから、しっかり課題に取り組んでほしいものです。

 

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