時慶記の一・二巻については、当サイトに於いて「時慶記にみる下津棒庵」で関係する部分をご紹介した。西洞院時慶と下津棒庵の親しい関係が伺われる。第三巻を拾い読みしても、所々に棒庵が登場するのだが、人名索引では、棒庵の欄には「棒庵→下津宗秀」とあるが、その下津宗秀の項がない。明らかな編集ミスでこれはいただけない。
棒庵は加藤清正と行動を共にしており、この清正については20ヶ所に於いて其の消息が伺える。
細川家はといえば、幽齋が3ヶ所、忠興が2ヶ所と至って少ない。松下述久(2ヶ所)・佐方吉衛門(1ヶ所)の名前が見えるが、これは二人が幽齋に随伴し八条宮智仁親王の御会始に出席している(慶長八年正月廿二日)記事に於いてである。
慶長八年正月から九年十二月にかけての人の動きが、実にリアルに窺えて大変興味深い。
棒庵は加藤清正と行動を共にしており、この清正については20ヶ所に於いて其の消息が伺える。
細川家はといえば、幽齋が3ヶ所、忠興が2ヶ所と至って少ない。松下述久(2ヶ所)・佐方吉衛門(1ヶ所)の名前が見えるが、これは二人が幽齋に随伴し八条宮智仁親王の御会始に出席している(慶長八年正月廿二日)記事に於いてである。
慶長八年正月から九年十二月にかけての人の動きが、実にリアルに窺えて大変興味深い。