津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

細川藩江戸藩邸

2009-02-23 23:14:53 | 歴史
 先の史談会例会で、「細川藩江戸藩邸」のことが一寸した話題になった。
藩邸が幾つあり、どこにあったのだろうかという疑問である。熊本大学の「細川家旧記・古文書分類目録」をみると次のようにある。

     ■戸越御屋敷
     ■龍口御屋敷  上屋敷
     ■白金御屋敷  下屋敷(事実上の本邸)
     ■田町御屋敷
     ■浜町御屋敷  (斉茲が自らを浜町様と呼ばせた)
     ■矢之蔵御屋敷
     ■木挽町御屋敷
     ■目白台御屋敷 抱屋敷・永青文庫が有る、現在の新江戸川公園
     ■八丁堀御屋敷
     ■神田御屋敷
     ■深川佐賀町御屋敷
     ■外山御屋敷
     ■芝御屋敷
     ■永嶺御屋敷
     ■大崎御屋敷  2/26追記

     ●椋木阪下定府御長屋
     
 こんなに沢山あるとは正直驚いてしまったが、江戸切絵図をよくよく眺めるとそれらしきものが発見できて面白い。それに伴い、宇土細川家の屋敷なども発見、すっかりはまり込んでしまった。
コメント (2)
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街道をゆく・17 「島原・天草の諸道」

2009-02-23 12:07:19 | 書籍・読書

新装【ワイド版】 街道をゆく (17) 島原・天草の諸道
〈ワイド版〉街道をゆく17 島原・天草の諸道/司馬遼太郎/著
販売価格:1,155円(税込)

【本の内容】

天草は、旅人を詩人にするらしい。まして詩人が旅人であれば、……若き日の北原白秋たちの面影を追いつつ、吟遊詩人を生む天草の風土を愛で、島原の乱の遺跡をたどりながら、初期の幕藩体制を揺るがしたこの地の歴史を考える。10.5ポイントという大きな活字によって身近になった司馬遼太郎の世界。詳細な地図や当時の雰囲気を表す写真を多数収録。巻毎の索引など、特色あふれる編集による新シリーズ。

【目次】

  • 松倉重政
  • 城をつくる
  • がんまつ
  • サン・フェリペ号の失言
  • 沖田畷の合戦
  • 明暗
  • 侍と百姓
  • 南目へ
  • 北有馬
  • 口之津の蜂起〔ほか〕
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「平野長治は誰の子か」その答

2009-02-23 09:10:33 | 歴史
 2/20のブログ「細川家家臣・平野家を考える」で、「平野長治は誰の子?」であるのかを書いた。
昨日のぴえーるさんのブログ「えんちゅるでぃげん爺が三食繰言」で、その答えをいただいた。
(確定としていいだろう)

どうやら平野家は清原枝賢の子としており(『寛政譜』『平野家譜』など)、清原家は清原業賢の子(つまり枝賢の兄弟)としているようだ(『舟橋家譜』)。どちらが正しいのか、生没年を比較することで検討してみよう。(平野家は『平野家譜』、清原家は『諸家伝』に拠る)
   平野長治 ????-1606
   平野長泰 1559-1628
   清原業賢 1497-1566
   清原枝賢 1520-1590
   清原国賢 1544-1614
長泰の生年だけ見ると枝賢の子とも考えられるが(国賢の庶兄とすれば何とか)、長泰は長男ではないことを考慮すると、『舟橋家譜』がいうように業賢の子とした方が妥当であろう。

 そして其のことを裏付けるような情報が、ぴえーるさんのブログにもたらされた。
ROTTING CORPCEさんの次のような投稿である。
「兼見卿記」天正12年8月16日条
平右京進、筑州家中ニ在之人也、清三位舎弟也、

 これにたいする、更なるぴえーるさんの解説
その当時「清三位」に該当するのは清原枝賢なので、平野長治は枝賢の弟、業賢の子で確定ですね。

有難う御座います。ただただ感謝です。
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