綿考輯録によると、細川忠利が佐久間氏と縁続きであることに言及しているが、それが誰であるのか今日まで判らずにいた。最近谷田部(茂木)藩・細川家の資料を見ていて、ようやく長年の疑問が解決することとなった。忠興の弟・細川興元の女・鶴(高辻宰相遂良室)が、初め佐久間因幡守に嫁いでいた。忠利からすると従兄妹である。この佐久間因幡守とは佐久間(佐々)勝之の嫡男・勝年のことであろう。ウイキペディアによると勝年は父・勝之が壮健であったため家督することも無く40歳で亡くなっている。4歳ほど年下である鶴姫は子もなしていないことから、佐久間家を去ったのであろう。その後公家である高辻家に最嫁した。
高辻家25代・遂長 (江戸大名公公卿net http://www1.parkcity.ne.jp/sito/ )から
五条為良の子 母は某氏
生没・慶長5年(1600)~寛永19年(1642)
西坊城家を相続するも、天正8年(1580)以降中絶状態にあった当家を寛永11年(1634)再興する
正三位参議、文章博士
正室・狛近弘の娘
子女・26代長純
・女子→姉小路実道室
継室・谷田部藩細川興元の娘 (子女なし)