細川家の手許不如意は天下に名を成しており、大商人からの借り入れを踏み倒すということもあり、三井高利などは「細川家は前々から不埒なる御家柄」と公言して憚らない。当時の藩主は綱利公らしいが・・・・・判るような気がする。
井原西鶴は「本朝永代蔵」の中の「昔は掛算今は當座銀」で、三井九郎右衛門を紹介している。
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古代にかはつて人の風俗次第奢になつて、諸事其の分際よりは花(華)麗を好み殊に妻子の衣服、また上もなき事ども身の程知らず、冥加おそろしき高家貴人の御衣さへ、京織羽二重の外なかりき、殊さら黒き物に定まつての五所紋、大名より末々の萬人に此似合ざるといふことなし、近年小ざかしき都人の仕出し、男女の衣服品々の美をつくし、雛形に色をうつし、浮世小紋の模様、御所の百色染解捨の洗鹿子、物好各別世界にいたりせんさく、女の身持娘の縁組より内證うすくなりて、家業の障となる人數を知らず、婬姒(いんし)の平生きよらを見するは渡世の為なり、萬民の美婦は春の花見秋の紅葉見、婚禮振舞の外は、目立衣装を着重ねずともすむ事なり、有時室町のかた脇に仕立物屋の軒かほりて、橘の暖簾掛りて、當世着物の縫出しすぐれて都の手利ありて、絹綿爰に持つどひてさながら衣山を我宿に見し事ぞかし、仕付の糸火熨あつるを待兼ねしほとゝぎす、初空卯月一日は衣がへとて色よき袷を縫かけしを見るに、白き紋羅のひつかへしに、緋縮緬を中に入れて三枚がさねの袷、両袖襟に引綿むかしはなかりし事なり、此上は萬の唐織を常住着となすべし、此時節の衣装法度、諸國諸人の身の為、今思ひあたりて有難くおぼえぬ、商人のよき絹着たるも見ぐるし、紬はおのれにそなはりて見よげなり、武士は綺羅を本としてつとむる身なれば、たとへ無僕の侍までも、風儀常にしてもおもはしらず、近代江戸静かにして松はからずも常盤ばし本町呉服所京の出見世紋付鑑にあらはし、棚もり手代それ/\に得意の御屋敷へ出入、ともかせぎに励みあひ、商賣に油断なく、辦舌手だれ知恵才覺、算用たけてわる銀をつかまず、利徳に生牛の目もくじり、虎の御門の夜をこめ、千里に行くも奉公、朝には星をかつぎ秤竿に心玉をなして、明暮御機嫌とれども、以前とちがひ今繁盛の武蔵野なれども、隅から角まで手入して、更に掴み取もなかりき、御祝言又は衣配りの折からは其役人小納戸がたの好みにて一商ひして取けるに、今時は諸方の入札すこしの利潤を見かけて喰ひ詰になりて、内證かなしく外聞ばかりの御用等調へ、剰さへ大分の賣がゝりも数年不埒になりて、京銀の利まはしにもあはず、かはし銀につまりて難儀、俄に取りひろげたる棚も仕舞がたく、自から小前になりぬ、兎角はあはぬ算用、江戸棚残つて何百貫目の損、足もとのあかるいうちに本紅の色かへてと、銘々分別する時は又商ひの道は有る物、三井九郎右衛門といふ男、手金の光むかし小判の駿河町と云ふ所に、面九間に四十間に棟高く長屋作りして、新棚を出し、萬現銀賣にかけねなしと相定め、四十餘人、利発手代を追まはし、一人一色の役目、たとへば金欄類一人、日野郡内絹類一人、羽二重一人紗綾一人、紅類一人麻袴類一人毛織類一人、此ごとく手分けをして、天鵞絨一寸四方、緞子毛抜袋になるほど、緋繻子鑓印長、龍門の袖覆輪かた/\にても物の自由に賣渡しぬ、殊更俄目見の熨斗目いそぎ羽織などは、其使をまたせ數十人の手前細工人立ならび、即座に仕立これを渡しぬ、さによつて家栄え毎日金子百五十両づつならしに商賣しけるとなり、世の重寶是ぞかし、此亭主を見るに、目鼻手足あつて外の人にはかはつた所もなく家職にかはつてかしこし、大商人の手本なるべし、いろは付の引出しに、唐国和朝の絹布をたゝみこみ、品々の時代絹、中将姫の手織の蚊屋、人丸の明石縮、阿弥陀の涎かけ朝比奈が舞鶴の切、達磨大師の敷浦圑林和靖が括頭巾三條小鍛冶が刀袋何によらずないといふ物なし、萬有帳めでたし
(了)