津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

チャレンジ「旦夕覺書」

2011-05-19 13:52:22 | 歴史

 赤穂浪士十七名を細川家に預かった際、接待役を仰せつかったのが堀内傳右衛門である。

         http://homepage1.nifty.com/longivy/note/li0075.htm

かれがその顛末を書き綴った「堀内傳右衛門覚書」は、赤穂事件研究の第一級史料として知られている。この傳右衛門は後年「旦夕覺書」という記録を残している。肥後文献叢書・第四巻に所載されており、国立国会図書館のデジタルアーカイブスでも紹介されている。

「旦夕(たんせき)覺書」について「肥後文献解題」は次のように紹介している。

享保九年十一月頃子孫の為に書き残したもので、「花」「鳥」「風」「月」の四巻に分けて百八十八ヶ条余り書いてある。「花之巻」は主に古人の話を書き、「鳥之巻」は古人の話及自己修養の話。「風之巻」は自己勤務上の話。「月之巻」は人物月旦(評論)及び自己勤務上の注意すべき事を書き、何事も信実から出なければ善いとは申されぬと子孫を誡め、且奨励している。寛文・享保頃の武士生活を描写したものが多い。

所載の「肥後文献叢書・第四巻」に於いては、163頁をついやする膨大なものである。
これをじっくりと読み、且タイピングをして「注」なども配しながらご紹介しようと思っている。
一日一頁を目標にすれば10月いっぱい位には終わるだろう。 いざ

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1,500疋

2011-05-19 08:26:54 | 歴史

                        
                        100文さし(実際は96枚)

 我が家の先祖附の最後尾に、「明治三年七月改革に付当職(穿鑿役)被免・・・・数年出精相勤候付金子千五百疋被下置」とあって終わっている。当時29歳の高祖父のことである。

千五百疋というと、一疋=十文だから一万五千文、この時期一両=一貫文約8,000文だとする資料があるから二両弱ほどであろうか。もっとも「疋」と明記してあるから、いわゆる100文を紐(さし)で通した「100文さし」を150本(?)頂戴したのだろうか・・・

一両の価値というのがこれまた色々な説が有り定かではないが、5~6万円として10万~12万円、ボーナスみたいなものだろうか。

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