「細川家家臣略歴」をみると、「十代相続寸志」の家として「百石・御蔵米三百石」の中原家が見える。その家祖は大館治部大輔晴忠とある。大館(舘=たち)常興日記を書き残した尚氏(常興)の孫である。
大舘常興日記
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E8%88%98%E5%B8%B8%E8%88%88%E6%97%A5%E8%A8%98
大館尚氏とは http://kotobank.jp/word/%E5%A4%A7%E9%A4%A8%E5%B0%9A%E6%B0%8F
デジタルライブラリー「大舘常興日記」
第一 http://kindai.da.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/772558
第二 http://kindai.da.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/772559/1
第三 http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/772560
第四 http://kindai.da.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/772561
第五 http://kindai.da.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/772562
裏書 http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/772563
尚氏は将軍義晴の側近として名を知られているが、幽齋の実父三淵晴員の姉・佐子局についてこの常興日記で書き記している。その尚氏の孫・晴忠が細川家に仕えているというのも、因縁めいた話ではあるし、また「十代相続寸志」という身分にもちょっと首をかしげている。
これは先祖附を改めて読まなければ成らないと思っている(昨日図書館に行ったのに・・・)
又設楽薫氏の論考「将軍足利義晴の嗣立と大館常興の登場--常興と清光院(佐子局)の関係をめぐって」が、吉川弘文館の「日本歴史 2000-12月(631)p33~50」にあるらしい。
これを何とか手に入れようと思案中である。