津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

細川家家臣-大館(中原)氏

2011-09-16 11:55:00 | 歴史

 「細川家家臣略歴」をみると、「十代相続寸志」の家として「百石・御蔵米三百石」の中原家が見える。その家祖は大館治部大輔晴忠とある。大館(舘=たち)常興日記を書き残した尚氏(常興)の孫である。
       大舘常興日記 
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E8%88%98%E5%B8%B8%E8%88%88%E6%97%A5%E8%A8%98
       大館尚氏とは http://kotobank.jp/word/%E5%A4%A7%E9%A4%A8%E5%B0%9A%E6%B0%8F
       デジタルライブラリー「大舘常興日記」
         第一 http://kindai.da.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/772558
         第二 http://kindai.da.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/772559/1
         第三 http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/772560
         第四 http://kindai.da.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/772561
         第五 http://kindai.da.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/772562
         裏書 http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/772563

 尚氏は将軍義晴の側近として名を知られているが、幽齋の実父三淵晴員の姉・佐子局についてこの常興日記で書き記している。その尚氏の孫・晴忠が細川家に仕えているというのも、因縁めいた話ではあるし、また「十代相続寸志」という身分にもちょっと首をかしげている。
これは先祖附を改めて読まなければ成らないと思っている(昨日図書館に行ったのに・・・)

又設楽薫氏の論考「将軍足利義晴の嗣立と大館常興の登場--常興と清光院(佐子局)の関係をめぐって」が、吉川弘文館の「日本歴史 2000-12月(631)p33~50」にあるらしい。
これを何とか手に入れようと思案中である。

コメント (2)
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細川幽齋-戦塵の中の学芸

2011-09-16 10:27:03 | 書籍・読書
    細川幽斎―戦塵の中の学芸
 
        笠間書院

 日本歴史学会の『日本歴史』730号(2009年3月号)に、「細川幽斎の養父について」という山田康弘氏の一文が掲載された。「和泉守護家細川元常の養子ではなく、淡路守護家細川晴広の養子だった」という、センセイショナルな内容であった。

 その後間もなく刊行(2010年10月30日)された「細川幽齋-戦塵の中の学芸」において、山田氏は「足利将軍直臣としての細川幽齋」という一文で更なる補強をされている。

 又小川剛生氏の「細川幽齋-人と人生」も、山田康弘氏に足並みを揃える如き論考で、綿考輯録の編者・小野武次郎によって今日まで語られてきた幽齋周辺の人間関係が、大いに揺らぎ始めたことを実感する。

 細川幽齋を語る時、今後はお二人のお説を避けて通ることは出来ないのではないか?
大変興味深いことではある。

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