MAさまから再度のメールを頂戴した。全文をご紹介する。
「細田家系 本姓荒木氏」は、十次郎つまり村次以降はかなり信憑性がありそうですが、荒木村重の弟に元清と書いてあるのは、誤りです。
荒木元清は『寛永諸家系図伝』でも『荒木略記』でも荒木村重の従兄弟です。
一番重要な事は、『寛永諸家系図伝』は1643年迄編纂されており、荒木村常の系図は、1643年正月の記述で終わっている事から、1643年に荒木村常自身が徳川幕府に提出した系図と考えられ、現在伝わっている荒木村重の系図の中では最も古い系図で、しかも荒木村重の祖父までは、荒木村重の従兄弟の荒木元清の子孫の荒木家と石尾家の系図とも良く一致し、荒木村重の娘の荒木局も大奥にいる事から、村重の祖父迄は信頼性が高いと考えられるという事です。
荒木村重の父は『寛永諸家系図伝』で「義村 信濃」であり、「義綱 河内守」ではありません。
荒木村重の祖父は『寛永諸家系図伝』で、荒木村常の系図でも、荒木元清の子孫の荒木家と石尾家の系図でも、「某 大蔵」であり、「元義 河内守」ではありません。
荒木村常が徳川幕府に提出した『寛永諸家系図伝』の草稿(呈譜)の写しを、荒木村常自身は持っていた筈であり、それが「細田家系 本姓荒木氏」に反映されていない、という問題は、今後の研究課題です。多分荒木村重の謀反と荒木局事件を隠したい、という動機が原因の一つだろうとは思いますが。
実際、「百五拾石細田七蔵」では、荒木村重の謀反と荒木局事件は全くなかった様に書かれています。