津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

「文鎮につば」その後

2011-09-14 19:26:40 | 徒然

 7/28日「文鎮につば」を書いた。その後オークションで「刀の鍔」を手に入れた。まったく飾りっけの無い丸い鉄の塊に穴が穿たれているだけの代物だが、実物を手にするとさすがに「文鎮」にしようという思いは不遜であると思い至った。黒光りする鉄片を毎日両手で撫で回している。

 我が家に一振りの脇差と切腹用の小刀が残されている。いずれもまったく手入れをしていない。祖父も父も昭和19年に共に亡くなったから、仮にその時期に手入れをしたとしても70年近い歳月が経過していることに成る。過日本当に久しぶりに脇差を取り出して眺めてみた。刀身には錆が出ているし、根来塗りを思わせる鞘も乾燥しきって一部ひびが入っている。ちょっと驚いたのは、柄巻の下に九曜の紋(陰紋)が裏表に二つずつはめ込まれていたことだ。
 細川家の九曜紋は、信長の小柄に施されていたものを忠興公が気に入り、許しを得て家紋としたと伝えられる。我が家の脇差にそれを見るとは思わなかった。広く使われていたのであろうか。
刀の銘を見たいのだが一本の目釘が外れない。柄巻を壊してまでやる勇気はないし・・・いずれにしても一度専門家のお手を煩わさなければ成らない。
柄巻の仕事などどのようにするのか興味があってぐぐってみたら、文部科学省に「日本刀の職人たち」という動画サイトがあった。
    VOL1 刀鍛冶
    VOL2 日本刀の研磨
    VOL3 白銀師
    VOL4 鞘師
    VOL5 装師
    VOL6 柄巻師
    VOL7 装剣金工
これが中々面白い。このような人たちの手に依り一振りの刀が完成するのだ。

午後の数時間をこれを拝見して過ごした。

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立待月

2011-09-14 09:31:24 | 俳句

 今年は運が良かったのか、中秋の名月、十六夜の月と連日群雲の邪魔も無く見事なお月様を鑑賞することが出来た。そして今日は旧暦十七日で立待月である。
九月の月は毎日のようにその名を替える。「十五夜以後、月の出はしだいに遅くなり、十六夜(いざよい)の月は山の端にいざよい、十七夜は立ち待つほどに出」から立待月というのだそうだが、「十八夜(居待月・いまちづき)は座し居て待ち、十九夜(臥待月・ふしまちづき)は臥して待ち、二十日(更待月・ふけまちづき)には夜半近くと遅くなる。」 なんと風雅なことではないか。

 明治三十五年の九月十九日、子規は三十五年の生涯を閉じた。高浜虚子の送別の句 

             子規逝くや十七日の月明に 

は、その日が陰暦八月十七日のことであったことによる。まさに立待月のその日である。
旧暦で考えると今日子規の命日である。
熊本は今日も暑い一日になりそうだが、綺麗な「立待月」に会えることだろう。
早々にPCを閉じて、句集に親しむことにしよう。

 

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