「日本の古本屋」から、タイトルの本を注文。
先にご紹介した「細川幽斎・戦塵の中の学芸」に小川剛生氏の論考「細川幽齋--人と時代」がある。氏の幽齋生母周辺に関するこの論考は、出典を明らかにしてのことだから大変興味深い。
・清原宣賢には二人の女子があり、姉が足利義晴女房・智慶院、妹が三淵晴員室である。
・幽齋は細川刑部大輔の養子となり、のちに母の縁により晴員夫婦に預けられた。
・三淵藤英や宮川尼は「智慶院の妹」の所生である。
(智慶院は晴員に嫁いだのではなく、妹(養源院)とその夫である晴員に預けた(養子?)ということか・・・・)
この説の出所が「船橋説」と呼ばれるもので、これがタイトルの本に所載されているというわけである。その内容も「細川幽斎・戦塵の中の学芸」に紹介されており、清原枝賢女で六角義賢室の「寿光院」の証言だとされる。そして枝賢の妻が、幽齋の養父・細川刑部大輔の後家であると言っているのだ。
山田康宏氏の「細川幽齋の養父について」と合わせて考えると、いままで言い伝えられてきた小野武次郎が綿考輯録に書き記した細川家の出自に関する一連の記事に、赤信号が灯ってしまった。「永源師檀紀年録」なども改めて、読み返さなければ成らない。