津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

熊本史談会発行・・「現代語訳 肥後孝子傳」

2011-09-27 15:43:07 | 書籍・読書

                     

 わが熊本史談会の長老・90歳の高本保夫翁が今般、「現代語訳 肥後孝子傳」を上梓され発刊の運びとなった。氏は高名な肥後の儒者・高本紫のご子孫だが、日ごろから現今の殺伐とした世情に憂いの心をもたれ、特に親子の関係の素晴らしさを称えた中村忠亭の著「肥後孝子傳」の現代語訳版の発刊に心を注いでこられた。一年余心血を注がれ齢90歳の輝かしい御年を迎えられた今年出版に至られた。敬意を表すると共に、皆様にもぜひお読みいただきたいと、ご推薦申上げる。

     販売:熊本市上通り 舒文堂河島書店  http://www.abaj.gr.jp/jobundo/index-j.htm
             同     天野屋書店    http://www.kosho.ne.jp/~amanoya/

     定価:1,200円(税込み) 郵送料等につきましては、各書店にお問い合わせ下さい。


 中村忠亭著「肥後孝子傳」については、原文を近代デジタルライブラリの「肥後文献叢書」から御覧いただける。 http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/766735/1

 尚、著者中村忠亭についての詳しいことについては、近代デジタルライブラリの「肥後先哲偉蹟」
 http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/778595 から 281/441 と打ち込んでいただくと御覧いただける。 


 【蛇足】 私の好きな小沢昭一氏(変哲)に、次のような句がある。

                貧にして孝子出づとや蕎麦の花

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有吉家文書「年中行事抜粋」(四十一)玄猪御禮之式

2011-09-27 13:45:25 | 有吉家文書

一玄猪御祝被仰出候段御用人より
 書付御用番江相達候付佐弐役江
 相渡候事
一夕七半時揃二而麻上下着仕之事
    但提灯なし二詰間江相揃候得者
    宜候事
一着服者兼房尤上下其餘之色         憲法小紋のこと 宮本武蔵と対決した吉岡一門は染物屋を家業としていた。
 ニて茂不苦候事                                その吉岡家により作られたものと伝えられる。
一御小姓頭より案内有之御一門ニ三家より
 進上之御餅有之
候事
一同席之御禮ハ鹿之御間ニ而被為
 受候付入口ニ御屏風かこひ出来御間取
 諸事年始之通候事
一御出座被為候上御小姓頭より猶知らせ
 有之候間御一門初一人宛帯劒ニ而
 罷出候事
 ○末之附紙爰ニ附
一御間入口ニ而御辞儀無之御向通より
 直ニ御三方之元ニ進出御餅を取頂
 戴之仕直ニ右江開引取歌仙御間
 元之坐ニ而御餅紙ニ包懐中夫より
 九曜之御間御椽側江且々参例之通
 御一門衆始列座之事
一右之通り御一門衆始九曜之御間江
 下り候ヘハ御上段御間取仕直しニ相成候
 併詰間へ引取之間合無之候事
一御出坐之時例之通平伏仕御一門衆御三方
 持出候得者手を揚候事
    但御向詰等例之通候事
 右御禮者御物頭列以上ニて候事
一夫より御次御礼相始同席者居続ニ
 座着御一門衆者御次御礼ニハ列座
 無之候尤退去之御間合無之候へハ
 居続ニ茂被致由之事
一夫より御出座之時諸事例之通候事
 付紙
    文化五年御在国之節不被遊
    御出座候付左之通相究候
一御一門衆始御家老御中老迄中柱
 之御間南之方江列座いたし謁御用人
 之上御三方一ツ九曜之御間御上段之
 三方より三畳目ニ差置候一人宛罷出
 順之頂戴直ニ南之側之列座之所ニ
 直り直御三方二上より四畳目二閣候上
 御備頭御留守居大頭両人完罷出
 御餅頂戴御椽頬之様退去各
 御三方取入候所ニ而御備頭御留守居
 大頭御礼口より罷出北之方ニ列座
 相成猶又御三宝五ツ上より差置候上
 御役付着座以上五人宛繰出候
 頂戴御椽頬之様ニ退出之事
 口之稜々付札
  ○此儀本行之通候處近年不図脱劒ニ
   相成御向通より二畳目御礼席
   にて御辞儀仕方ニ相成候處以前茂
   本行之通候上玄猪ハ於
   公儀茂御辞儀なし二御餅頂戴有之
   よしニ付御年限中旧被仰付候節
   帯劒御辞儀なしニ相成度其節申談
   可奉伺候事
     文政三年玄猪御礼之節
     御在国之時分付紙之通奉窺之処
     矢張脱劒ニて御礼申上候様被
     仰出候間以後脱劒ニ而御禮申上
     候之方ニ申談其通相決候事

 

 

【参考】 上記「御一門ニ三家より進上之御餅有之」 は下記のことに依り慣例化されたのであろうか

(前略)有吉将監立言は京都御屋敷御長屋ニ居候に、御出陳玄猪の日にて、立言餅を祝ひ立出ける時、妻心付、殿にも御祝可然と申て急なる折節故、器物も不有合、山折敷の有けるに乗せ持出候へは、藤孝君はや御馬に召れ候所に、玄猪の餅御祝被成候へと云て差上けれは、御出馬の折節、玄猪は能心付也と被仰馬上にて御祝、目出度御帰陳可被成と仰候、即御勝利なりけれは、御帰陳の上にても猶御賞美被成候、後々まて山折敷にて玄猪の餅差上候事は、段々御領知も重なり、旁以御吉例に被思召候に付、向後無懈怠差上候へとの御意有之候故と (綿考輯録第一巻p57)

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