某家の先祖附を読んでいたが、「加里あん」とある。長崎に来航したカリアン船の事である。
本座の御能や祇園社の宮司などを勤めたT家の先祖附なのだが、何故か 加里あん船の来航にあたって、縄を納めている。
実は異国船が長崎の港に入ったときは、水中に大きな縄を張り巡らして、船の航行を不可能にさせるという戦術を使ったらしい。
正保四年六月下旬、ポルトガル船が入港し、細川藩は11,000余人・舟447隻を出した。
指揮を執ったのが長岡(沼田)勘解由である。海底に縄を張り、港の入口に舟をならべて船橋を作って異国船を湾内に閉じ込めた。
まさにT家の先祖附にある縄綯いの作業はこの事件に際しての者であった。ご機嫌斜めならぬ褒詞を得たのは当然の事である。
その記録は過去に何回かご紹介した。読み下しの作業をした文書に、関係ある記述を発見して感慨一入といったところである。
正保四年七月七日
読下し「正保四年五月漢朝ホルトカル國ヨリ舩来朝」-- 1
読下し「正保四年五月漢朝ホルトカル國ヨリ舩来朝」-- 2(了)