今日の熊本は、昨日とは打って変わっての雨天となり、一時期は凄い風にもみまわれた。TVに写る瓦がはげた熊本城が雨にうたれて痛々しい。よくよく考えると明治10年の2月19日に熊本城は焼失してしまつたのだ。城下の人々の喪失感は如何ばかりであったろうか。現在では放火説が支持されているが、射界の清掃と称して城下町にも火が放たれ一面の焼野原となつた。細川家には事前に通告が為されたらしく、三人の姫君は慌ただしく避難のために立田邸に逃れられた。長い逃避行を経験されるか、この事には何度か触れたのでここでは省略する。
地震で壊れたお城を見上げるとき、熊本市民は一様に嘆息し涙するのである。西南戦争の前、御一新後の実学党政権はこのお城の解体を決定している。さすがに実行される事は無かったが、もし実行されていたら市民の嘆きは如何許りてあったろうかと、察するに余りある。幾多の試練を乗り越え、またお城の雄姿を仰ぎ見て深い絆を更に深めていつたのだろう。全国の皆様のさらなるお力添えを心からお願い申し上げたい。