津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■御預人記録から二月四日のこと

2017-02-04 09:21:06 | 史料

 今日二月四日は、赤穂義士四十六人が切腹した日である。
細川藩に於いては家老・大石内蔵助以下十七人を預かったが、その扱いは丁重を極め江戸町人の賛美を受けたほどであった。
「御預人記録」から、二月四日の赤穂義士切腹について抜き書きしご紹介する。

一、二月四日、御老中様御連名之御奉書、御徒衆を以被差越、如左
    御預被置候浅野内匠家来、御仕置 仰出候に付、追付御目付荒木十右衛門、御使番久永内記
    可被差越候、其節御自分被出合不及、家来計可被差出候、以上
        二月四日          稲葉丹後守
                        秋元但馬守
                        小笠原佐渡守
                        土屋相模守
                        安部豊後守
        細川越中守殿
  右御請書状、早速御使之御徒衆え相渡、御用番秋元但馬守様え越中守罷越、残御老中様えは使者差出候、
  御預人御仕置之節、自身出合不及旨に候得共、即刻芝御屋敷へ相越候事
一、荒木十右衛門様、久永内記様、二月四日八時分、芝屋敷え御出有之、御小人目付衆十二人、御徒目
  付衆七人、一同御出有之候、介錯人柄之儀、御徒目付衆え相尋候處、越中守家来に被仰付筈之由被
  申候に付、侍又は歩行之者、何れに可仕哉と申達候得は、何れにても宜由に付、侍共勤候様可仕段
  申達候事
一、十右衛門様、内記様、御預人差置候圍之内え御出有之、一人宛御呼出大石内蔵之助を座上として、何
  れも相揃候上、御書付御讀聞被成候處、内蔵之助御請に、如何體にも可被仰付之處、切腹被仰付、
  難有仕合奉存候旨申上、不残拝伏、扨又吉良左兵衛殿は、諏訪安藝守様え御預被成候、何れも可為
  本望と思召候、此義被仰渡に而は無之御會釋、何れも緩々支度可仕旨被仰聞、御両人大書院え御引
  取有之候、御書付左之通
    浅野内匠儀、
    勅使御馳走之御用被 仰付置、其上時節柄殿中を不憚、不届之仕形に付、御仕置被 仰付、吉
    良上野儀、無御構被差置候處、主人のあたを報候と申立、内匠家来四十六人致徒黨、上野宅え
    押込、飛道具抔持参、上野を討候儀、始末 公義を不恐候段不届候、依之切腹申付者也
        未二月四日
一、御預人支度仕廻候時分、銚子盃出候得は、類々末期之盃仕、此間中取扱忝旨、謝禮申述候事
一、切腹之場所、大書院前之庭に、白布幕三方に張之、通筋には薄縁三枚通敷之、縁頬に御徒目付居被申
  候所は、毛氈敷之、縁頬之白洲御小人目付居被申候所は、薄縁を敷、切腹人之座所には畳三畳敷之、
  其上に木綿之大風呂敷をしき、十右衛門様、内記様、大書院頬之方に御座着之上、大石内蔵之助を
  初一人宛、小姓組差添、介錯人麻上下跡に付罷出候、切腹人座に直り、介錯人左りに添直候時、三方に
  小脇差を乗、歩使番麻上下持出、切腹人之前に置之、切腹人小脇差を取戴之、切腹仕、介錯済候時、検
  使之方に白屏風引廻、死體不相見様に仕、敷置候風呂敷にて死體を包、取除之、畳敷替、一人宛右
  之通にて、七時分より七半時分過迄に相済候事
一、介錯人之書付、十右衛門様、内記様御望に付、左之通書付差出候
    介錯 安場一平    四十二歳  大石内蔵助
    同  雨森清太夫   四十二歳  吉田忠右衛門
    同  益田貞右衛門 二十八歳  原惣右衛門
    同  二宮新右衛門 三十二歳  片岡源吾右衛門
    同  本庄彦助     二十八歳  間瀬久太夫
    同  横井儀右衛門 二十九歳  小野寺十内
    同  粟屋平右衛門 三十四歳  同 喜兵衛
    同  吉富五左衛門 二十九歳  磯貝十郎右衛門
    同  米良市右衛門 四十二歳  堀部彌兵衛            『肥後藩参百石 米良家~堀部弥兵衛の介錯人 米良市右衛門とその族譜
    同  横山作太夫   二十九歳  近松勘六
    同  氏家平吉     二十四歳  富森助右衛門
    同  一宮源四郎   三十四歳  潮田又之丞
    同  魚住惣右衛門 四十二歳  早水藤左衛門
    同  中村角太夫   三十三歳  赤埴源蔵
    同  藤崎長左衛門 二十八歳  奥田孫大夫
    同  田中平太夫   三十六歳  矢田五郎右衛門
    同  吉田孫四郎   二十八歳  大石瀬左衛門
一、右相済、検使御引取以後、御用番秋元但馬守様え自身罷越、残る御老中様えは、今晩夜に入候に付、
  使者留守居を以御届仕、翌五日、自身罷越候、其節若年寄様并御検使御両人、御預人御渡之大目付
  衆御列座之御目付衆えも、使者を以御届仕候事
一、御預人死體取置候儀、泉岳寺え申談、規度葬送の規式に無之、軽取置有之候様申談候、寺社御奉行
  様えは、泉岳寺より御届仕候由、夜に入十七人死體桶に入、乗物に乗せ、一挺箱提灯二宛燈之、歩小姓
  一人、足軽四人宛附之、為支配物頭一人、使番一人、小姓頭之組脇一人遣候、右為取置料、即夜三十
  両、為茶湯金五十両差遣、其外十七人之衣類、随身之道具、此方より拵置候諸品共に、不残泉岳寺
  え遣候、翌日墓所䑓石一宛置之、廻り竹垣を結候儀申付候事

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