熊本地震の前震からそろそろ(発生時間21時26分)10ヶ月、県内ではまだ小さな地震が時折発生している。
今日は地震当時住んでいた所の周辺を訪ねてみた。あちこちが更地になっている。たった10ヶ月なのに何が建っていたのか思い出せない。
写真館・銀行・設計事務所・クリニック等が取り壊されている。
また違う場所では、見慣れた大きな印刷工場が取り壊され、整形外科クリニックの新築工事が始まっていた。
私が住んでいたMは公費解体待ちの状態、あとはどうなるのか少なからず興味がある。
現在のMの近所にあったスーパーマーケットはずっと放置されたままだったが、経営者がかわり今年に入って改修工事が始まった。
3月下旬にはオープン予定で、遠くまで買い物に出かけていた奥方は大喜びである。
もっともお出かけが大好きな人だから、アシスト自転車であちこち走り回ることだろうが・・・・・
「ネットで話題の動画」に「生後2カ月のワンコが散歩中に仰天発見」とあったのでちょっと覗いてみた。
パン屋さんの飼い犬が散歩中、林の中でトリュフを探し出したという話である。日本では「松露」と呼ばれるものだ。
鼻のきく子犬が掘り起こしたそうだが、匂いの良いものなのだろう。私は実物は見たこともない。
忠利公が転封にて熊本入りされた直後、有るところで「松露」が発見された。
その記事をご紹介した覚えがあり、当ブログを検索したら案の定・・・出てきた。
松露・・・・熊本で採れるの?
4年前の記事、まだ記憶力は衰えていなかった。
齊護公の死去により慶順(韶邦)公に代替りしたのが万延元年である。
齊護公のご命日は四月十七日、享年51歳であった。
実はこの年の正月廿九日付、藩主の隠居を匂わせる書付が奉行所から町々の役付に渡されたという。
太守様御持病之御疝積・御腰痛御勝れ遊されず旧臘以来御出仕も御断り専ら御療養遊され
候へ共聢と在らせられず其上御歯痛差加り御不気根にも成らせられ第一御者覚薄く相州御備
場御用且御政事向等御行届兼も御座あるべくやと御心労遊され候に付、当春中御隠居届御願、
若殿様へ御家督の儀御願遊さるゝ御内存御治定遊され近く御老中様に御内意仰入れらるゝ筈
に候此段何れもに申聞か可き旨仰出され候条其意を得奉り触支配方にも聞かすべく候以上
正月廿九日
何故この様な大事が庶民にあからさまに伝えられたのだろうか、大変不思議な事である。
しかし隠居がなされることなく死去され、慶順公が七月十七日遺領を相続した。正史では伺いしれない真実がある。
付け足し:
慶順公が韶邦を名乗られるのは、明治改元の直前である。徳川家慶の「慶」の字をいただいて護順を慶順と名乗られたが、
政治の大きなうねりの中で、「慶」の字を使う意味が失われた。