14:20頃地震あり、隣の部屋の奥方が「キャー」と声を上げるほどの大きな揺れ。
私はといえばちょうどPCでタイピング中、ちょっと身構えたが本棚が倒れるような感じでもなくやり過ごしました。
西区で震度4、我が家のあたりは3、未だ性懲りもなく地下のナマズが動き回っています。
この文書は大塚仙之助や伊藤石之助等が実行した、時習館訓導河部仙吾宅を放火焼失させたという事件に関するものである。
史談会の先輩K様から頂いたコピー資料であるが、「大塚仙之助一件」と著名がある100頁に及ぶ大部である。
天保6年9月19日に起こった事件であるが、背景には藩校時習館の改革を望む一派60名が加担したという事件であり、一方筆頭家老松井佐渡(督之)の暗殺未遂事件時もあるとされる。(長岡佐渡暗殺未遂事件・天保年代の一事件 宮本謙吾ー日本談義・昭和29年6月号掲載)
この事件に関しては熊本史学(43号)の「天保期熊本藩内と実学党」に詳しい。
古文書記録としては「天保七年丙申年八月伊藤石之助・大塚仙之助仕置ー併父母御咎之一巻」を熊本県立図書館が所蔵している。
また同図書館には上妻文庫(90)に島崎騒動一件がある。
時習館訓導・河部仙吾を殺害せんと企て放火事件となったものだが、事前発覚し一味徒党は捕らえられて、首謀者は刎首梟首(天保八年八月二十七日)されたという事件である。
同事件に関する「大塚仙之助・伊藤石之助列口書頭書」「同一件判決書」に於いても、裏の理由に立ち入る様な記述はない。
■大塚五郎右衛門嫡子・大塚仙之助
苗字双刀御取上 刎首 さヽ札三日長六橋
■伊藤楯之助弟・伊藤石之助
苗字双刀御取上 刎首 梟首三日同(長六橋)
■横山藤左衛門嫡子・横山清十郎
苗字双刀御取上 刎首
■堀内七郎右衛門嫡子・堀内彦右衛門
苗字双刀御取上 刎首
この四人は「高麗門囲内」で処刑された。
その他
苗字双刀御取上・囲入
三井三郎兵衛(三井直右衛門嫡子)
水野熊太郎(水野清左衛門嫡子)
苗字双刀御取上・禁足
鎌田新三郎(鎌田甚吉嫡子)
鈴木 央(鈴木甚兵衛嫡子)
佐々布準助(佐々布蔵次郎二男)
荻 豊熊(荻吉九郎二男)
士席指放・禁足
岩間小左衛門(岩間此面嫡子)
仁保平太郎(仁保吉右衛門嫡子)
内山為彦(内山小右衛門嫡子)
これらの処分は、嘉永四年十一月に至りようやく「御免」となった。
以下「不被召仕」「逼塞」等々の処分がなされている。
さて写真の100頁に及ぶ記録は大変貴重なものだが、頂戴してから20ヶ月ほど経過したものの読み下しがとんと進まない。
事件終息のこの時期に改めて気合を入れて読み下そうとこの記録を取り出したところである。
全文をご披露するのは何時になるやら、これは私の努力次第ということだが・・・・・