下津政之助は下津家六代、久馬・将監とも名乗っている
明和八年六月~寛永元年十月 小姓頭 、寛政元年十月~寛政九年十一月 御留守居大頭 を勤めた。
細川家家臣としての下津家は将監(内記宗政・有安)を初代とする。1,083石。
父は久我右大臣道堅(道興)の三男・下津棒庵、加藤清正の外交顧問として重責を果たした。また加藤家の内紛に際しても力を発揮している。2,027石。
初代将監の弟・通簾は東久世家を興すなど、久我家の流れをくむ名門である。(細川重賢夫人は久我右大臣通兄女である。)
代々重職を勤め、最後の当主下津求馬は明治元年閏四月~明治二年二月 大奉行を勤めている。
この指物、デザインがなんともユニーク、「紙白五段麾」とあるが、「麾」とは「指麾」とも言い、采配のことである。
こちらは柳川立花家にある采配。 立花家資料館BLOGから