台風一過の今日は「敬老の日」なのだそうだが、時折開いては楽しんでいるサイト「増殖する俳句歳時記」を眺めてみた。
言いえて妙とも思うが、どの句も淋しいなーと思ってしまう。
お国の偉いお役人様が我々老人の為に態々設けていただいた有り難いお休みだが、これは国民に連休をもたらすための一手段でもある。
すっかり出しにされてしまっている。皆さんにその思いがあるから、勢い作句も自虐的・反逆的である。
老人の日といふ嫌な一日過ぐ 右城暮石
敬老の日といふまこと淋しき日 中村春逸
年寄の日と関はらずわが昼寝 石塚友二
反逆す敬老の日を出歩きて 大川俊江
われらただのぢぢばばながら敬老日 新津香芽代
毎日が老人の日の飯こぼす 清水基吉
おのが名に振り仮名つけて敬老日 長谷川双魚
敬老の日のとしよりをみくびる芸 瀧 春一
私の母は無口で自分の意見など口に出さない人で、人づきあいも良くなかったが、一徹さがあって老人会の会合など余り足を運ぶこともなかった。
どうやら私も母の血を引いたらしく、地域の老人会や関連する行事など全く出たことがないこまった爺々である。
もっとも地震以後の新住民だから、近所付き合いが薄いということもある。
町や村に合併が奨励されて行政規模が大きくなった結果、小さな単位のコミュニティーが崩壊しつつあると聞く。
「老人会」がそんなコミュニティーを支えていけるとも思えないが、関りを避けて過ごすのも少々卑怯かなと思ったりする。
古文書の会でもあればいいな~とは思っているのだが・・・