先に治療をした歯の歯茎が腫れていたのがどうやら落ち着き、最後の治療だとばかりに出かけたら、ブリッジを受けている歯がダメージを受けて歯茎の腫れにつながっているとの事。将来的には歯が割れるかもしれないとの話。
「えっ、どうするの」と思ったら、今抜いておいたほうが将来痛みが出るより良いだろうとのご託宣・・・ご尤も・・
「入れ歯にしますか?ブリッジにしますか?」と畳みかけるように話が進む。
年を取ってから大口を開けるのはもういやだから、明日抜歯ということに相成った。型取りは今日終、27日にはニ連ブリッジの完成である。
本当に/\歯の治療はこれで最後としたものだ。
沼田家に関する史料を眺めていて、「細川藩・主要家臣系図」に不思議な記述を見つけた。
沼田家は細川幽齋の室・麝香の兄・清延を初代とする。細川家に連なる名家である。
二代・延元、三代・延之、四代・延将と続いたが、五代は嫡子の延相には繋がらずその子兼辰がついでいる。
延相室には細川刑部家初代興孝女・岩を迎えているが、兼辰が岩の子であるのかは現況詳らかではない。
同系図の延相の項を見ると「元禄九年二月病により蟄居」とあり、兼辰の項には「綱利命により元禄十四年嫡孫承祖」とある。
元禄十四年は延将が致仕した年である。延相の「元禄九年二月病により蟄居」がどういう意味なのか、蟄居とは刑罰の一種であり相応する事件を知りたいと思うのだが、史料不足で何ともしようがない。
またそうであれば「細川藩・主要家臣系図」の線のつなぎ方も合点がいかない。というのは「嫡孫承祖」であれば、直列でつなげばよいと思うのだが、延将の養子という書き方がされている。いろいろ理由がありそうだが、残念ながら沼田家の先祖附が手元にない。残念