津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■爺様の編著本・・??

2017-09-25 23:27:46 | 徒然

 若い友人N君と電話で話していたら、YSさんという親戚の方か何方か居られますかという。
私の祖父だけどと返事をすると、「古書籍販売会目録」に「錦渓 1号~30号迄揃」30,000円と出ていますよとの事、カタログを慌ててみてみると確かに祖父の編とある。明治25・1(1号)~29・11(30号)が全部そろっているそうな。
この本「御存知ないんですか?」とN君はいうが、私は全く知らなかった。満2歳で祖父母・父の三人と死に別れたから、祖父が何をやっていたのかさえよく承知をしていない。祖父は明治四年の生まれ、21歳から25歳の頃の話である。いったいこの「錦渓」なるものがどういうものなのか?、これは人様に渡すわけにはいけないだろうとは思うのだが、出品者の舒文堂さんを訪ねてみようと思っている。
平壌にあったという東亜同文会系(?)の朝鮮学校の校長を勤め、ある本には国士と書かれていた爺様だがどうやら血の気が多い人だったようだ。
30,000円祖父様供養に購入せねばなるまい。(とんだ物入りです、祖父様・・・) 

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■六所宮祭礼の賑わい

2017-09-25 13:07:47 | 熊本

                       六所社 六所宮・藤崎八旛宮HPより

六所宮の由緒は藤崎八旛宮のHPによると「寛永九年、豊前大守、左少将細川忠利当国(熊本)移封、其の長子侍従細川光尚、産土神たるの故を以て正保元年、豊前国中津六所宮を勧請鎮齋せらる。」とある。
なんで読んだのかはきとした記憶がないが、光尚の幼名「六」に因んで六所宮を勧進したという話があった。
いずれにしろ藤崎八旛宮の末社として祀られ、現在は藤崎宮境内に祀られている。(上記写真)
加茂大神・春日大神・松尾大神・稲荷大神・八坂大神・貴船大神を祭神として、現在は10月11日に例祭が行われているようだが、「歳序雑話」によると藩政時代は9月11日であったらしい。大変な賑わいの様子が記されている。

                      

   十一日六所明神の祭日なり、貴賤列行参詣夥し。社頭神人鳥帽子狩衣を著し幣を持す。楽人雅楽を奏す。
   其体真に切なり。又神殿の大庭において傀儡人衆会して其の技芸を尽くす。朔より今日に至りて止む。
   四面虎落を結ぶ。楽屋を営み緋氈錦幕を飾る。其の三面桟敷を作る。空地を以て芝居をなす。寔に興ある
   見物なり。朔の前霄、太鼓を以て路港に来り。呼びて曰く明日六所に於いて興操す、大夫は何某、牋の値
   は幾許、所望の人は至りて看るべし。城下の郊辺悉く斯くの如し。以て人々是を知る。見物の体、又希代
   の一興なり。貴者は駕輿に乗り、或は馬に乗り供乗りを列す、錦の障泥飾り行列を整う。或は忍びて駕籠
   を用う。釣鬚の鎗持有、(つづく)

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