四六一
一御郡代直觸苗字帯刀、又は無苗之直觸等衣類之儀に付、
頃日内意之趣令承知候、何レも地侍格ニ准シ申候間、家
内共ニ右之通相心得候様各より寄々可被申聞候、以上
同年九月廿五日 御郡代
四六二
一御山口役共勤方、惣躰不心得之者も有之由相聞候、自分
預御山之儀、平日無油断打廻、御用材木等剪出候節は差
紙前無相違少シニても剪添等不仕様、見■可申事勿論ニ ■扌偏に乄=締
候、萬一不届者有之候ハヽ村名等承届早速御山支配へ
可申出候、右躰之儀萬一有之候ても不申出後日相知候ハ
ヽ、御山口共咎可申付候、且又役方申付候節差紙相渡候
事ニ候處、當時ニては右指紙所持不仕者多有之麁抹之至
ニ候、依之今度改差紙相渡候間可被仰渡候、此以後御山
口共勤方之様子毎歳七月御山御算用帳仕上被申候節、勤
方心得能者えは吟味之上申付候筋も可有之候、不心得之
者は役方差放、品ニ寄曲事可申付候、此段御山口共呼出
稠敷可被申渡候、以上
明和八年十月朔日 御郡代
四六三
一津端/\より魚類何品ニよらす熊本内振賣、幷熊本町よ
り津端え罷越直賣御停止被仰付置候、然處右之内左之通
一から蛤類 一むき貝類 一あミ漬類 一干あミ類
右之分は津端之者共熊本内振賣、幷熊本より津端え罷越
直賣とも被成御免候、然上は右之類ニ事寄御免無之品々
直賣・直買等彌以堅不仕、御定之通魚問屋・相物問屋え
送届可致賣買候
右之趣御仲間中へも御通達、津端/\不洩様早々可有御
達候、以上
明和八年十月廿一日 御郡方御奉行中
四六四
覺
一飯米之外ニ
一銭八分程 一宿分之鹽・噌・茶・油代共
右は私附横目役在々え差出候節、向々ニて賄を受來候處、
不同も有之様子ニ付、以來は一統右之通出方ニて相賄、
此害決て費ヶ間敷儀無之様、村々へ不洩様被仰付置可被
下候、勿論手付役えも其旨堅相守候様急度可被申渡候、
右之趣御同役御衆中へ被仰通置可被下候、以上
明和八年十月 津田七左衛門
四六五
覺
一諸御郡御百姓共之内、間ニは居宅座敷向、藺表之疊を敷
居候も有之候、畢竟御郡代其外在御役人宿を受申所より
右之通り有來候歟、然共農家不分限事ニ付、藺表之疊・薄
縁ともに一統停止被仰付候間、以來は縁なしの疊を用、
立具等も右ニ准シ、彌質素ニ相心得候様、尤當時迄敷居候
藺表早速改せ候ては却て迷惑可致候間、有懸り分ハ來年
より三ヶ年間ニ其儘ニても不苦、四ヶ年目未ノ年よりハ
一統相改候様堅可被申付候、且また宿町幷農家ニも御巡
見様其外御隣國御大名様御休泊之御宿受來候所々ハ、今
迄之通被仰付候間、左様可被相心得候、年限以後萬一下
方心得違於有之てハ屹可被仰付候條、右之趣委ク可被申
付候、以上
明和八年十二月
四六六
覺
一御惣庄屋之親子・兄弟・當時迄ハ苗字帯刀いたし不申候
得共、以來ハ數代家柄之御惣庄屋幷御家人より御惣庄屋
被仰付候面々、同居之親子・兄弟へ直ニ帯刀候様被仰付
候事
一人畜より御惣庄屋被仰付候も重キ御役儀相勤候もの之儀
ニ付、親子・兄弟・同居之者共は無苗ニて刀を帯候様被
仰付候、尤被賞候て時分苗字被成御免候者は、其節ハ親
子・兄弟共苗字名乗候様、且又二代相續候て御惣庄屋相
勤候者之親子・兄弟は、御家人より被仰付候者同前之儀
ニ付、直名字刀御免被仰付候事
但、本行之通被仰付候儀ニ付、子弟若年之輩權勢募却て
父兄之御役儀障り候儀等無之様、能々教育可被致事候
一人畜より被賞、苗字刀被成御免、在御家人被仰付候者、
同居之父當時迄は帯刀不仕筈候得共、以來は親も帯刀被
御免候事
但、孝道を重せられ、本行之通候條、彌以自分/\之
心得可有之事ニ候
明和八年十二月 御郡代中
四六七
覺
一諸御郡共之儀、高持を受持居候も有之事候へ共、惣
躰御百姓並ニは相心得不申筈之處、所ニより勝手向も兎
哉角いたし居候共之内ニは、御百姓も不用衣服等相
用候者も有之様子ニて不届之至ニ候、已來相應ニ相
心得候様、村役より急度可申付候、若心得違之儀於有之
は差通間敷候條、此段可被申渡候、以上
明和六年六月 御郡代中