五〇三
覺
一諸御郡御百姓共無據譯有之、新屋敷願出吟味之上相違も
無之様得は願之通被仰付事候處、間心得違之者も有之、
内證ニて新屋敷家居取建候者も有之候様子相聞不届之至
候、畢竟村役人共等閑ニ相心得不埒之儀候條猥成儀無之
様各へも平日心を被用、村役人・小百姓共へも委敷可被
申付候、若當時心得違之者有之、内證新屋敷家造等いた
し居候者も可有之哉、此節有筋ニ相達候ハヽ御吟味之上
御免可被仰付候、以来萬一心得違之者有之候ハヽ屋敷主
ハ勿論村役人共ニ屹ト御咎可被仰付候間、彌以先年御達
之趣違背不仕様可被申付候、以上
安永二年八月 御郡代
五〇四
覺
一地居荒仕子給米御年貢差継上納之儀、是迄ハ荒仕子會所
より之書割を以手永/\へ付來候、然處右之通ニては行
届不申儀も有之候ニ付、以來仕法被改候、且又御郡割賦
荒仕子之儀ハ御郡間より其達有之手永/\より罷出申筈
之處、右之内ニは在々より其身罷出不致雇柄候儀有之、
累敷様子ニも相聞候間、右両様共右之通被仰付候
一地居荒仕子給米御年貢差継之儀、年々十一月廿九日限何
手永之何程付申土との儀、荒仕子會所へ申出候様、左候
て荒仕子小頭より差出を以各へ逢達、各幷詰合之御勝手
方付所之御横目中印を以方へ相達候様、此方二て根帳引
合印形相濟候て各へ可相渡候間、其手永/\御惣庄屋へ
可被相渡候、尤是迄自身生所之手永外他手永えも勝手
/\申談來候へ共、右之通ニてハ糺方届兼候間、生所手
永限差継致上納候様、勿論居村懸り手永差継上納難成分
ハ熊本御蔵渡被仰付候、但江戸詰も同前
一御郡割賦荒仕子之儀、在中之割賦有之候上自身難罷出、
雇柄いたし候儀以來決て難叶候
以上
五〇五
覺
荒仕子給米差継等之儀付て、御勘定所より荒仕子支配役
へ被及達候處、別紙之通候間此段御聞置、御郡代中へ御
通達可被置候、以上
安永二年十月十三日 御勘定方御奉行中
五〇六
一各御支配御郡之者之内、御穿鑿所より相尋候儀有之節、
御奉行所へ被差出來候へ共、此以後は各御穿鑿頭中へ添
紙面を以直ニ彼方へ可被差出候、尤一日ニて難相決、尚
以被差出候ニとの儀幷口問相濟被差返候様との儀共御穿
鑿頭中より直ニ被申達筈ニ候間、左様御心得御同役中へ
早々可有御通達候、以上
安永二年十月十七日 御刑法方御奉行中
五〇七
一近來面躰を隠し候頭巾を拵、途中ニてかふり候者數多有
之、奉行所より尋者ニ紛敷候間、前々より有來候頭巾之
外一切かふり申間敷旨、寛保三年従公儀御觸之趣相觸置、
猶寶暦十一年ニも右躰之かふり物仕間敷旨相達置候處、
頃年猥敷烏亂者ニ紛敷候條、彌以以來面を隠し候かふり
物堅仕間敷候、右之通ニ付若違犯之輩は御侍中たり共、
姓名承届相達候様及達候條、家来/\ニ至迄屹ト可被申
付候、以上
安永二年十二月
五〇八
一諸御郡田方蟲氣之節相用候ためとして、年々鯨油望次第 熊本藩に於ける鯨油私用に関する史料
被渡置、其代銀は冬ニ至上納被仰付來候、然處今年より
ハ蟲氣ニ相用候分之油代半分は上より之御出方被仰付筈
ニ候、尤田方蟲氣無之年之望下方燈油ニ配當有之ハ代銀
上より御出方可被仰付様も無之候間、代銀全上納可仕事
一蟲氣之程次第萬一被渡候油ニて及不足候節ハ、御惣庄
屋才覺ニて猶又油を求差せ申ニて可有候間、左様之油
代も半分ハ御出方可被仰付候
一右之通ニ付、蟲氣相見候ハヽ、速ニ油を差せ候儀村々不
及申、御惣庄屋も聊急申間敷候事
六月廿九日 御郡間
五〇九
一別紙之通被附御心被仰付事候間、田方ニ差油差不申油と
の儀明白ニ相分候様仕法を立可被置候、此儀當時迄之儀
ニ無之、永々之儀候得は、仕法はつと有之候ハヽ、後年
如何様之間違出來可致哉も難測候間、此所能々考明白之
仕法之儀御申談被相達候様可申達旨ニ候、以上
安永二年六月廿九日 御郡間
五一〇
一諸御郡御土免割之節、當年よりハ上地御内檢申談相しら
へ候様、先達て及達候間、左様可有御心得候、依之左之
通
一御百姓一竈之内両人高主を立不申筈之儀は、前々より被
仰付至候通候條、彌堅相心得御惣庄屋より致吟味、御土
免割帳調達いたし候様可有御申付候
一高分之儀、前々より被仰付置候通、無據三拾石以上大高
之内拾五石・貮拾石遣候ても、本家三拾石以上殘候ハヽ
其通、三拾石以下は難成事候間、彌以其通相心得候様可
有御達候
右之通御仲間中えも可有御通達候、以上
明和九年三月十九日 御郡間