津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■女系による血の継承

2019-05-08 06:49:04 | 徒然

 新天皇の即位にあたり、またぞろ女系天皇の話題が上がってきた。悠仁様を含め皇位継承者がお三方というのはいかにも心もとない。
「剣璽等承継(けんじとうしょうけい)の儀」では、男性成人皇族がお二人しかお姿が見えない状況をみると「これは異常だ」と率直に思ってしまう。
天皇家では皇后がお産みになって次の天皇にならるるケースは大変まれであり、その多くは皇后以外の女性の御子である。

今後検討される女系天皇は、結婚されるとその夫君は当然一般人であり、そこにうまれる男子は母親により皇統の血は流れてはいるが父親が一般人であるがゆえに否とされるわけである。
この時代「側室を・・」などという論議はあり得ない事だから、男系による皇統の継続は大変むつかしく思われる。

 現代社会では「借り腹」などという言葉は死語であるとともに、存在しないことであるが、近世に於いては側室を置き男子を誕生させ「家」を末永く継承させるにはごく当たり前の事であった。天皇家しかり、徳川将軍家しかり、大名家もまたしかりである。
細川家に於いても5代・綱利、6代・宣紀、7代・宗孝、8代・重賢、9代・治年、10代・齊茲、11代・齊樹、13代・韶邦、14代・護久、15代・護成と幽齋公から15代の内10人が側室の腹から生まれている。側室の出自(貴賤)などの如何を問わず、生まれた男子は宝物である。
宣紀は正室はなく21人の子を為している。ここに名君といわれる重賢公が誕生した。
しかし世継ぎの男子の生母であっても所詮は「借り腹」であり、墓地も藩主家の墓地に埋葬されることはない。
中には男子を出産した側室が、家臣に下げ渡されるという事例もあり、これには首をかしげざるを得ない。
近代になってからも「男の甲斐性」とやらで外に子をなし、家や事業の継承などで「正室の子」「妾の子」の醜い争いが多々見られる。
お墓の管理で争われるケースも見受けられるが、原因を作ったご本人はあの世でしかめっ面をされていることであろう。

 細川家家臣団の家系図にいろいろ触れていると、それぞれの家系に女系が重大な意味を持っていることが良く判る。
それは婚姻関係で複雑なつながりをもち、閨閥をつくり大きな勢力を作り出していることである。
ある時は一族の意に添わぬ婚姻は力をもって消し去られることがある。たとえば「北の関事件」に見られるような大事件に進展することさえある。

 高級武家ならずとも、そのお宅の女系によるつながりをたどると、思いもかけない縁戚関係が浮かび上がり大変興味深い。
それは複雑に絡み合いを見せながら、そのつながりから別家の縁戚関係へと広がりを見せる。
細やかでも女子の婚姻の記事などを見つけると、まことにうれしくワクワクする思いである。
一人の人間に父母がおり、その父母にそれぞれの父母がいる。数代遡るととんでもない数になり、それらの血が全て現在の一人の人物に受け継がれている。家を単位として考えると、それぞれの枝葉が絡み合いその数は計り知れないものとなる。
まさに世界は兄弟である。

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