津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■八代城御附衆(4)

2019-05-14 14:10:16 | 自分史
これは「元禄初年‐御侍帳」に記載ある「八代御城付」である。
都合50人、知行合計が10,448石5斗、其の外3名に御役料が付きその合計が300石である。(200石とあるが当然間違いである)
この時期になると、御番頭の格が少し下がっていて700石であることが判る。
上田新兵衛に至っては本来は500石であり、不足分200石が御役料として付けられている。(役から外れると当然御役料は無くなる。)

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■史談会の資料の準備

2019-05-14 07:08:30 | 自分史
史談会が近づくと、途端に資料の準備であわただしくなる。
今回は外部から講師を迎える予定であったが、少々事情があって叶わなくなってしまった。
こうなると責任上自分でやらなければならない。
熊本日日新聞の「文化短信」に掲載していただくために、その旨も連絡してあるからもう後に引けない。

いままで色々資料を読んできた中で、細川家に仕える家老職を勤めた家とか万石を領した家々にいろいろ紆余曲折があり、藩主との間に確執を生じている場面が見受けられる。
それらが如何に修復されたのか、それは藩主の代替りで改善されたり、離国を余儀なくされたり、本人の死去により次の代では家禄が大幅に減少したりしている。
そういう過程をたどって三卿家老と呼ばれる松井・米田・有吉家が固定し、そのほか家老職を努めていくことになる諸家が地歩を固めていくことが判る。

今回は「忠義が報われた人、忠義が報われなかった人、恨みを口にする人」という少々センセーショナルな演題にしてしまったが、いまになるとやりすぎの感があるが、新聞にも載るし、会員にもその旨連絡してあるし後に引けないところである。
これらのことを時系列に年表にしてみると、細川家の歴史も波瀾万丈であることが良くわかる。




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