津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■福岡県史・近世篇「細川小倉藩」に挑む

2019-05-24 14:54:50 | 細川小倉藩

 福岡県史・近世篇「細川小倉藩」という刊本が三巻ある。
内容は奉行所の「日帳」だが、「日帳」とか「万(萬)日帳」、「御用覚書帳」とか名称はいろいろである。
第一巻は「寛永元年から寛永五年五月まで」だが完全に月を満たしてはいない。第二巻は「寛永五年六月から寛永七年六月まで」だがこちらも一巻同様欠落している部分が多く見受けられる。
第三巻は「寛永七年八月から寛永八年十一月まで」と何故か時代がさかのぼって「元和九年五月から十年四月まで」の「日帳」「覚書」「庄屋百姓等申状案 幷 惣奉行等用状」(訴願目安 幷 裁許裏書)などが記載されている。これもすべての月を網羅している訳ではない。
これ等を読むと、藩の政事に関することが細やかに記載されていて興味が尽きない。読み始めると小説をよむよりよほど面白い。
事は真実が述べられているからである。がんばってこれをご紹介していきたいと考えた。
膨大な量に及び、「藩法」をご紹介した期間より大いに時間を取りそうな気がするが、これはアーカイブスなどでも公開されておらず、なかなか目にされる機会も少ないと思われる。
三巻にある「元和」から、時代が若い順に取り掛かろうと思う。
疲れたり気が向かなく成ったりで中々順当にいくとは思えないが、気長にお付き合いいただきたいと思っている。
これは偏に、私の資料収集の力が無くなっていることを意味する。図書館まで出かけるのさえ躊躇せざるを得ない昨今である。

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■用意周到 姫様御名の候補

2019-05-24 06:37:58 | 木下韡村日記

 弘化三年九月廿九日の「木下韡村日記」九(一)に興味深い記述がある。

御誕生様若 御女子様ニ被為在候時之御用意ニ、御名之字撰出差
出候様於御用人間被仰付候ニ付、撰擇左之通、但シ御障り多有之
間、拾五字撰候様                        のり 御所様御名 
         温ハル 終温且惠   フチ 塞淵      ノリ 女箴幽閉之     ラン     ケイ 
   裴頠箴膏不厭
    ソテ 易不如其娣之袂     チカ 「慎愛」(朱)   ユキ 「順」(朱)   タカ    チカ 
    テル   カツ   
   絲 イト    ユキ    ノフ    アヤ    ヤス    ヤス   衍 ヤス ノブ    チカ    ヒロ
    カタ    タカ    チカ    カズ    モチ    イヱ    つた   にき    おき   すか 
     合十五(赤文字表示、実は書してある)


これらの御名がもしかして女子が生まれた時の為に準備されたものである。32文字の中から15文字が選ばれたという訳である。
宇太郎がその大事なお役目をはたしたらしい。
さてその御子は慶前(齊護嫡子)と室・茂姫(細川能登守利用女)との間に生まれる待望の第一子である。
年が変わった弘化四年正月廿五日にその御子は誕生した。準備万端整えた女子の名前は残念ながら使われることはなかった。
待望の第一子は男子であった。細川家の嫡子の名乗りである「六丸」と名付けられたが、二月三日に亡くなられる。七日程のお命であった。
慶前公はその後御子を為されることもなく、23歳の若さで亡くなられた。

どういう基準でこういったものが候補に挙がったのか、外された候補は「御障り多有之」という事で外されているが、その理由までは伺い知ることは出来ない。いずれにしても興味深い資料である。

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