昨日■福岡県史・近世篇「細川小倉藩」に挑むを書いたが、その前にほかの史料があることに気づいた。
同じ小倉藩のにおける「元和七年 御印帳」という、忠利公の裁可文書をまとめたものである。1990年熊本大学史料叢書として発刊されている。
ただし、その後続いて発刊されているのか不明である。(されていないのではないか・・・)
これは「細川小倉藩」の史料よりも、時代的に先行するものだから、これを先にご紹介するのが筋であろうと考えた。
41頁に及ぶものだが、頭注はあるが特段の説明は為されていない。
これからスタートしていきたいと思っている。
元和七年
御 印 帳
六月廿一日
| 六月廿五日
| 一、佐藤少三郎・田辺彦介京へ可被差上旨被仰出候、則申付候事 ●(忠利公朱印以下同)
| 一、右少三郎・彦助京にて宿賃被遣儀申渡候事 ●
| (佐藤) (真下) (松井興長)(小笠原長元)(阿部主殿助)
惣銀の請取 | 一、惣銀才三郎・七兵衛請取候へと申渡事、付式部・民部普請者主殿を加、御印を取銀子可
| 相渡御意之事 ●
金銀米遣方加 | 一、金銀米御遣方之加判之者仕候へと、被仰出、承事 ●
半役 | 付五人之内二人かけ候分者加判仕不苦由御意之事
| 一、大田八郎右衛門尉事、御番之儀幷御知行百石御たし被成可被下御意之事 ●
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| 六月廿六日
| 一、七介所此中番仕候早藤源右衛門尉妻子引越御番可仕御意之事 ● 七介→清田石見か
| 一、田辺彦介当暮ゟ如本御切米可被遣事 ●
| (細川忠興、剃髪シテ三齋宗立ト号ス、忠利ノ父)
| 一、御舟頭かしら為両人宗立様御船請取可申事
加子三百人召 | 一、加子三百人かゝへ可申由御意之事 ●
抱え |
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| 六月廿八日
高月口番人 | 一、高月口之御番上林甚介ニ和斎弥左衛門尉をくわへ、御鉄炮之者三拾人、掃除之者拾人、合
| 四拾人かゝへ、今安跡之役可仕之事 ●
| (菜園場)
| 一、平二郎ニ荒仕子五人・牛壱疋相そへ御さゑんはへ遣事、但五人之内壱人ハ御さゑんはニ残
| 申荒仕子あり、〆四人かゝへ可申事 ●
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| 六月廿九日
総構出入手判 | 一、御郡奉行惣かまへ出入手判なしニ出入可仕事 ●
| 一、甚斎むすこ市兵衛・同よめ鉄の御門出入可仕事 ● 甚斎→生源寺大炊之介
| 一、鈴木助太郎ニ六人扶持被遣事 ●
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| 六月晦日
| 一、荷つゝみ道具、御納戸奉行森作兵衛・深野左助・安田甚九郎此三人ニ被成御預候事 ●
鉄の御門番 | 一、長右衛門尉・源介・惣五郎鉄の御門番被仰付候事 ●
畳奉行 | 一、御畳奉行末村九右衛門・松村源六兵衛被仰付候事 ●
| 一、惣かまへのかや此前のことく御小人・御中間・御乗物かき被下候事
| (忠利裁可書入・自筆)
| 「三齋様之時之ことく」 ●