細川家の侍帳は刊本としては「肥後細川家侍帳(一)(二)(三)(四)」と、これを増補改訂した合本というべき「熊本藩侍帳集成」がある。
前者は1977~1979代に、後者は1996年に発刊された。
いずれも、細川藩政史研究会が発行したもので、編者は熊本大学教授(当時)松本寿三郎氏である。
この二種類の侍帳では内容に於いて差異が認められる。以前「二つの侍帳の違い」でご紹介したとおりである。
唯一小倉藩時代のものが「妙解院殿忠利公於豊前小倉 御侍帳幷軽輩末々共ニ」というものであり、大変貴重である。
この筆者は「真野景正」という人物だが、人物の特定ができないし、又その成立年もよくわからない。
その書き込みには「或慶長九年、元和七年春ヨリ寛永九年十二月九日迄之間、但 寛永元年以来前之名付ナルベシ 尤長岡勘解由 寛永元年八月卒去」とあり時代巾がすごくあることが判る。
ある論考を見ていたら、忠利代の各郡の郡奉行の一覧が「第7表・郡奉行一覧」p773に(*1)が示してあり、元和元年のものだと記されている。
その根拠は「豊前小倉御侍帳」だとしている。
「妙解院殿忠利公於豊前小倉 御侍帳幷軽輩末々共ニ」をみると、p9に「留守居組」の中に各郡の郡奉行15人の名前が記されており、先の表(*1)の役職の人数・名前共全く同じである。
処が、一部の人は福岡県史料・近世史編「小倉細川藩」(一巻)p113によると、寛永三年五月四日に新任された方々であることが判る。
(頭注 :諸御郡奉行)田川郡・林與兵衛、京都中津郡・佐方少左衛門、同上・宮部久三郎、築城上毛郡・沢少兵衛、宇佐郡・吉川九大夫、同上・上村甚五左衛門、国東軍・小林半左衛門、此六人也(人数については錯誤あり)
つまり表(*1)を元和元年と特定されていることには疑義が生じることになる。元和元年とされた根拠が別にあるのだろうか。
「妙解院殿忠利公於豊前小倉 御侍帳幷軽輩末々共ニ」は、慶長九年(1604)~寛永九年(1632)の間のものだとすると、28年という長いスパンの中の記録である。論考の矛盾を大いに感じている。