薄田泣菫に、松井康之を主人公にした「小壺狩り」という小説がある。
http://www.aozora.gr.jp/cards/000150/card4352.html
綿考輯録(巻十八-忠興公・上p464)にこの小説の題材と思える記述があった。薄田泣菫はどこからこの情報を手に入れたのか・・・・不思議でならない。
忠興君に康之より差上候茶入、高さ三寸八分廻り七寸也、本ハ越前ゆのふ峠の茶屋ニ有之候を、康之家来稲津忠兵衛と申者囉(もらひ)候ヘハ、安々とくれ候故、腰銭を六十遣候所斟酌いたし候を、是非に与帰候、扨傍輩共ニ見せ候ヘハ皆々笑ものニ致し候故、稲津も抛転し枕なとにせしを、岡本久右衛門と申利休児小姓立のもの、松井方ニ茶道致し居候が心付、康之ニ見せ候ヘハ、是ハ能茶入なりとて忠興君へ数寄を仕り候時出し申候、忠興君殊外御褒被成、古田織部へ見せ候へ、目か上りたらは可誉と被仰候故、織部殿へ見せに遣候処、甚誉被申候、則ふた袋被申付候ニ、此茶入之袋ニ可成きれ無之とて、京・大阪・堺方々尋、漸取出被申候由、其後忠興君へ御意ニ入候ハヽ、可差上と康之申上候ヘハ、我ハ能茶入持たる間、其方秘蔵仕候へと被仰候、此故を以康之遺物ニ差上候、然共ふた袋思召ニ不叶、御仕直、始之ふた袋ハ一度も御茶湯に御出し被成候、或時古田氏ニ御茶之時御出し被成候処、殊之外感被申、私之勢高之茶入千枚仕候を進上申、其上金千枚差上、此御茶入申請度と被申候由、其後加賀之前田肥前守殿より土井大炊頭殿を御頼、金二千枚ニ御申有之度、乍去千枚ハ只今進し、残而千枚ハ度々ニ可進と被仰候ヘハ、忠興君、度々ニ取可申齢無御座候とて御笑被成候、此処茶入山井と被名付候
浅くともよしや又くむ人もなし我にことたる山の井の水
と云古歌の心也、松井方にてハ稲津肩付と申、世上にてハ松井肩付とも申せし也、三齋君より立孝主ニ御譲被成、丹後殿御伝り候哉、寛文十二年御勝手被差支候由ニ而、望の方へ被遣度、代金五千両之由、乍然もし綱利君ニ可被召上哉とて、先ツ御家家老迄御内談之趣有之候、此節綱利訓御在府故江戸ニ伺ニ成候処、山の井の御茶入ハ他家ニ被遣御道具ニて無之と被思召候間、被留置、宇土ニハ右茶入之代銀四百貫目追々ニ可被遣候、左候ヘハ茶入何方へも参り不申、丹後殿御勝手の足りニも成可申との思召、江戸より被仰下候(以下略)
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サイト「茶の湯の楽しみ」 http://www17.ocn.ne.jp/~verdure/index.htm から引用
「名物茶入」 http://members.ctknet.ne.jp/verdure/cyaire/ya.html
山の井肩衝(やまのいかたつき) | |
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