津々堂の「江戸藩邸」シリーズ(?)は、中々終わりそうにない。
品川区のサイトにすばらしいものを見つけた。「品川の大名屋敷」というシリーズものだが、第11回は「熊本藩戸越屋敷1--数奇屋造りの御殿と広大な庭園」とあり、詳細な説明がなされている。模型も制作されているらしく、これは品川歴史館で見ることができるらしい。その写真と共に是非とも御覧頂きたい。
www.city.shinagawa.tokyo.jp/hp/menu000007800/hpg000007702.htm
第12回は「熊本藩戸越屋敷2--焼失後の戸越屋敷の変遷--」が予定されているが、未だUPされていないようだ。待ち遠しい。
次は大手ゼネコン・大成建設のサイト、週刊新潮のコラム「タワークレーン」に、「細川家の下屋敷跡 戸越公園」が出ている。 www.taisei.co.jp/1168584071894.html
戸越公園に関するいろんなサイトがあることは有難い事だが、藩主の名前や官名を間違えている。
どの資料を下敷きにしたのか・・・正解は細川若狭守利重(初代新田藩主)です。
品川区のサイトにすばらしいものを見つけた。「品川の大名屋敷」というシリーズものだが、第11回は「熊本藩戸越屋敷1--数奇屋造りの御殿と広大な庭園」とあり、詳細な説明がなされている。模型も制作されているらしく、これは品川歴史館で見ることができるらしい。その写真と共に是非とも御覧頂きたい。
www.city.shinagawa.tokyo.jp/hp/menu000007800/hpg000007702.htm
第12回は「熊本藩戸越屋敷2--焼失後の戸越屋敷の変遷--」が予定されているが、未だUPされていないようだ。待ち遠しい。
次は大手ゼネコン・大成建設のサイト、週刊新潮のコラム「タワークレーン」に、「細川家の下屋敷跡 戸越公園」が出ている。 www.taisei.co.jp/1168584071894.html
戸越公園に関するいろんなサイトがあることは有難い事だが、藩主の名前や官名を間違えている。
どの資料を下敷きにしたのか・・・正解は細川若狭守利重(初代新田藩主)です。
戸越公園が細川の戸越屋敷跡だったとは・・・。
隣接地(もしかすると元々は屋敷内?)に、一昨年位まで、国文学研究資料館が在りましたので、展示を見に行った際、近辺を何度か通ったことがありました。
説明板も有ったのでしょうに、見過ごしてしまっていたのは無念です。
まだまだ、見る程のものは沢山有りそうです。
ツツミ
国文学研究資料館が旧細川家屋敷跡とは最近知った事です
やがて東海寺の座禅会にも参りました 隣が細川家墓地…
大きなガマ蛙も住んでおります…
今少し前「山名豊國(禅高)」の著者・鳥取の小坂博之先生から手紙が届きました… 細川家文書には禅高さんが三斎公に江戸屋敷をお願いする姿が出てきます(面白い!)
さて GOOの「古地図」もなかなかいいですよ…
江戸期・明治期の地図・航空写真等重ねる事が出来ますので 東京は昼頃みぞれとなりました…
表と裏のPDFが開きます No18が戸越屋敷でNo27が東海寺です 東海寺塔中「妙解院(細川家)」の位置が解る1660年の境内絵図もあります
妙解院の西に三家で興した「桂昌院」が有りますが後に御名前を憚り代表の安藤重博の法名「定惠院」と成ります
磐城平藩の安藤家はここに埋葬された三代重博公と六代信成公の墓石が有りません…