津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■久々のクラシック鑑賞

2022-05-16 06:45:22 | 徒然

 昨晩は久々にEテレで「クラシック音楽館」を2時間にわたり鑑賞した。
「指揮者なしにオーケストラ第九に挑む」という趣向である。2時間クラシックを鑑賞するというのは私にとっては相当きつい。
しかしこの趣向が面白いと思った。指揮者がいないという事はどういうことなのか。
どう進行していくのかが不思議であった。各パートの人たちは200~300回、この曲を演奏してきた達人ばかりだ。
いつもであれば指揮者の解釈による指示に依って曲が作られていくのだが、今回はどうするのか。
第一バイオリン奏者が大まかな方向性を伝える。楽譜に対する各パートの解釈がそれぞれに在って、議論が重ねられていく。
皆本当に楽しそうだ。各パートがベートーベンの想いを紡ぎあげようと喜々として語り合っている。
わずか三回の綜合練習の中で、想いが一つになっていく過程を多くのカメラが追っていく。
楽譜に書かれた音楽記号の解釈にしろ、奏者の主体性が取り入れられることに対する喜々とした顔がある。
二人のコントラバス奏者の弓の使い方の相違に一人が「そっちが良い」と、即応するなどすごく面白い。
こういう番組は本当に良い。クラシックは難しいと腰が引けてきたが、このようなドキュメンタリーは身近に感じられる。
いみじくも一人の管楽器奏者がこんなやり取りを「指揮者もみてくれたらいいね」と語るシーンが印象的であった。
もう一人の人は「今まではおざなりにやってきたなあ」と嘆息する。指揮者のいうがままに身を任せたということであろう。いずれも深い言葉だ。

当日演奏が始まると、皆が本当に想いの音を奏で始める。新しい解釈の音を背後に聞いて、第一バイオリンがわずかに後ろを向いて微笑む。
若いバイオリンの女性奏者は嬉しくてたまらないようにニコニコ顔である。
彼等はまた、新しい指揮者の許で新しい解釈の音を紡いで新たな「第九」を作り上げるわけだが、今回の演奏こそが演奏者それぞれの
最高のパフォーマンスではなかったかと思ったことである。


「第九」のすべてを聞き通したのは初めてである。合唱もすばらしく心みたされて床に就いた。感謝。

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