津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

◼️不便この上なし

2017-02-17 21:45:45 | 徒然

pcが壊れてしまうと、する事もなくて、片付けものなどしてのんびりしています。午前中電話でpcを注文、支払いを済ませて6~7営業日程で品物が届きそうですか、のんびり過ごしたいと思います。もっとも明日は史談会の例会で、楽しい一日になる事でしょう。なれないipadでの書き込みで毎日たわいない事ばかりになると思いますが、お許し下さい。

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◼️pcが壊れました

2017-02-17 08:57:14 | 徒然

ノートがどうやら壊れました。奥方のipadを使って書いています。ディスクトップのpcは先の地震後破棄したので、早々に新しいノートpcを購入しなければなりません。データをなんとか取り出さなければなりませんが、これは専門店に持ち込まねばなりません。新しいpcが届くまで、ブロク更新もまま成らないと思いますが、宜しくお願いいたします。又、メールにつきましても、すぐにご返事が出来かねるかと思いますので御了解お願いします。

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■手取り高(二)

2017-02-16 09:23:34 | 熊本地震

 昨日手取り高を書いたら、「切米取り」についてはどうか?とのご質問をいただいた。

昨日と同様の資料によると
  1、御合力の御切米取御中小姓 10石に付5石5斗宛
  1、歩御使番以下御切米    10石高に5石宛て
  1、切米取          5石取2石8斗渡

尚、江戸・大阪定詰は切米取10石高に9石、無役は7石 

                     以上

 

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■手取り高

2017-02-15 09:09:25 | 熊本地震

 細川家旧家臣の御先祖探しには、「先祖附」と共に重要な役割を果たすものに、「改正禄高等調」がある。
これは明治七年に、士族である人たちが「白川縣權令安岡良亮殿」宛てに提出した、自身の改正禄高とその時期の自らの職務についての報告である。これが秩禄処分の元になっている。
「我が家は百石取りだった」と言われるお宅も、実質の手取り高は1/4そこそこであった。
例えば禄高百石の某家は改正禄高は貳拾八石七斗とある。どういう基準で算出されているのか判らないが、藩政時代の手取り高とも違うようだ。

天保二年藩財政の逼迫による「手取米減少」の際の「手取り高」についての記録によると
  一、熊本居 役付百石取・・・・・26石3斗
  一、熊本居 無役百石取・・・・・25石7斗
  一、在宅 役付百石取・・・・・ 同上
  一、在宅 無役百石取・・・・・ 25石5斗    などと有る。

寸志の家は熊本居で23石2斗、在宅で23石とあるが、寸志を上げるほどの家だから裕福であるとの取り扱いだろうか。
高禄の家では百石当り16石 とか細かい決まりがあり、ここでは省略する。
この後天保年間は大飢饉がつづく。詳しい史料を持たないが、さらに手取り米は減少したものと思われる。 

例に挙げたお宅の28石7斗という数字を見ると、熊本居 役付として天保二年より1石4斗ばかり改善していることが判る。

 

 

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■10ヶ月経過

2017-02-14 19:50:18 | 熊本地震

 熊本地震の前震からそろそろ(発生時間21時26分)10ヶ月、県内ではまだ小さな地震が時折発生している。
今日は地震当時住んでいた所の周辺を訪ねてみた。あちこちが更地になっている。たった10ヶ月なのに何が建っていたのか思い出せない。
写真館・銀行・設計事務所・クリニック等が取り壊されている。
また違う場所では、見慣れた大きな印刷工場が取り壊され、整形外科クリニックの新築工事が始まっていた。
私が住んでいたMは公費解体待ちの状態、あとはどうなるのか少なからず興味がある。
現在のMの近所にあったスーパーマーケットはずっと放置されたままだったが、経営者がかわり今年に入って改修工事が始まった。
3月下旬にはオープン予定で、遠くまで買い物に出かけていた奥方は大喜びである。
もっともお出かけが大好きな人だから、アシスト自転車であちこち走り回ることだろうが・・・・・ 

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■トリュフ

2017-02-14 11:49:06 | 徒然

「ネットで話題の動画」に「生後2カ月のワンコが散歩中に仰天発見」とあったのでちょっと覗いてみた。
パン屋さんの飼い犬が散歩中、林の中でトリュフを探し出したという話である。日本では「松露」と呼ばれるものだ。
鼻のきく子犬が掘り起こしたそうだが、匂いの良いものなのだろう。私は実物は見たこともない。

忠利公が転封にて熊本入りされた直後、有るところで「松露」が発見された。
その記事をご紹介した覚えがあり、当ブログを検索したら案の定・・・出てきた。
                         松露・・・・熊本で採れるの?

4年前の記事、まだ記憶力は衰えていなかった。

 

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■万延元年藩主代替わり

2017-02-14 07:51:20 | 歴史

 齊護公の死去により慶順(韶邦)公に代替りしたのが万延元年である。
齊護公のご命日は四月十七日、享年51歳であった。
実はこの年の正月廿九日付、藩主の隠居を匂わせる書付が奉行所から町々の役付に渡されたという。

      太守様御持病之御疝積・御腰痛御勝れ遊されず旧臘以来御出仕も御断り専ら御療養遊され
  候へ共聢と在らせられず其上御歯痛差加り御不気根にも成らせられ第一御者覚薄く相州御備
  場御用且御政事向等御行届兼も御座あるべくやと御心労遊され候に付、当春中御隠居届御願、
  若殿様へ御家督の儀御願遊さるゝ御内存御治定遊され近く御老中様に御内意仰入れらるゝ筈
  に候此段何れもに申聞か可き旨仰出され候条其意を得奉り触支配方にも聞かすべく候以上
    正月廿九日

何故この様な大事が庶民にあからさまに伝えられたのだろうか、大変不思議な事である。
しかし隠居がなされることなく死去され、慶順公が七月十七日遺領を相続した。正史では伺いしれない真実がある。

付け足し:
慶順公が韶邦を名乗られるのは、明治改元の直前である。徳川家慶の「慶」の字をいただいて護順を慶順と名乗られたが、
政治の大きなうねりの中で、「慶」の字を使う意味が失われた。
 

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■古文書くずし字見わけかたの極意 他

2017-02-13 17:41:55 | 書籍・読書
 古文書くずし字見わけかたの極意
 
      柏書房


            極意があるなら伝授していただこう。税込1,944円で済むのならお安い事である。
            いつもいつも悪戦苦闘している身にとっては有り難い事だが・・・・・・・・・・・
            同じ著者の手がかりをつかもう!古文書くずし字」という本もある。 

内容説明

大人気の古文書講師・油井宏子先生が伝授する、くずし字判読の秘伝の数々。初学者・入門者でも、スラスラと読めるようになる魔法の一冊が誕生。くずし字を上下・左右に分解する目を養うことで、だれもが一五〇年以上前の文字に親しむことができるようになります。

目次

第1章 「カタカナ」と「ひらがな」は漢字から読める
第2章 部首から漢字を読む
第3章 似ている部首を知っておこう
第4章 ひとつの漢字から広げよう
第5章 部首で見わけがつかない漢字
第6章 こんなに読めるようになった

著者紹介

油井宏子[アブライヒロコ] 
1953年千葉県市川市生まれ。1976年東京女子大学文理学部史学科卒業。船橋市、市川市の公立中学校教諭を経て、1989年からNHK学園古文書講師(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)

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■延享二年二月十二日・六道の火事

2017-02-12 19:09:39 | 歴史

延享二年江戸では二度大火が発生している。一月二十二日、小石川馬場の武家屋敷から出火し、西北風で延焼し使者100人以上が出た。
その10日後の二月十二日、千駄ヶ谷から出火し、北西風により延焼。焼失28678軒など、死者数1323人を出した「六道の火事」といわれる大火が発生した。この折細川家の白金屋敷も焼失した。
熊本藩年表稿には「青山千駄ヶ谷より出火し、白金邸類焼、この新築のため、郡方集米銀の内より3,000両差出」とある。
なぜ「六道の火事」というのか、その他あまり詳しい史料が見えない。
六道とは青山にある六方からの道が入れ混じる「六道辻」だとおもわれるが、なぜこの名が付いたのだろうか。

              イメージ 2

時の藩主は宗孝である。
二年後の延享四年八月十五日、宗孝は江戸城中に於いて板倉勝該に刃傷に及ばれ死去する。
宗孝の在任中(享保十七年八月二十五日~)には、関東諸川改修の手伝いなど127,230両等の支出が重なり、藩財政の逼迫の度が増している。 


、 

 

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■久しぶりの安らぎ

2017-02-12 13:26:07 | 徒然

 ここ数日寒がひどく、おまけに左足の調子がずっと悪いので全く外に出ていない。
郵便物の投函等も奥方に頼む始末である。その間二件の先祖附をどうやら読了、一件は原稿に朱書きして郵送、一件は釈文・読み下し文のタイピングも済ませ最後の読み返して間違いをチェックする。今日中には終わられそうである。
これで少々気持ちにゆとりが出てきたが、毎日椅子に長時間座り続けて左足が固まって痛いし、尻も痛い。
今日は寒いながら陽も差し込んできたので、その間散らかり放題のデスク周辺を掃除する。
取り出して床に重ねたままの本を本棚に戻し、史料をファイルに入れて所定の場所に戻し、掃除機で掃除をする。
ヤフオクで落札した本や古文書、アマゾンで仕入れた本も床に積んだまま、これもファイルしたり本棚の隙間をみつけて押し込む。
一方押入れに入れたままの段ボール箱を引きずり出し、内容物を確認して必要な本や資料を取り出す。
本棚の絶対量が少ないから、あまり目を通しそうにない本などは又押入れ行きと相成る。
しかしこれらの本を収納するために、新しく本棚を購入しなければならないのだが、どうやらボリームが判ってきた。
地震発生からそろそろ10か月、我が家はまだこんな有様である。

今月の史談会は会員のK氏にお頼みして、ある史料に登場する和歌について講義をお願いしている。
レジュメもお願いしているから、一週間前のこの時期、ばたばたすることもなく有り難い極みである。
 

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■加里あん船来航

2017-02-11 21:51:47 | 歴史

 某家の先祖附を読んでいたが、「加里あん」とある。長崎に来航したカリアン船の事である。
本座の御能や祇園社の宮司などを勤めたT家の先祖附なのだが、何故か 加里あん船の来航にあたって、縄を納めている。
実は異国船が長崎の港に入ったときは、水中に大きな縄を張り巡らして、船の航行を不可能にさせるという戦術を使ったらしい。
正保四年六月下旬、ポルトガル船が入港し、細川藩は11,000余人・舟447隻を出した。
指揮を執ったのが長岡(沼田)勘解由である。海底に縄を張り、港の入口に舟をならべて船橋を作って異国船を湾内に閉じ込めた。
まさにT家の先祖附にある縄綯いの作業はこの事件に際しての者であった。ご機嫌斜めならぬ褒詞を得たのは当然の事である。
その記録は過去に何回かご紹介した。読み下しの作業をした文書に、関係ある記述を発見して感慨一入といったところである。

                
正保四年七月七日
                読下し「正保四年五月漢朝ホルトカル國ヨリ舩来朝」-- 1
                読下し「正保四年五月漢朝ホルトカル國ヨリ舩来朝」-- 2(了)

 

 

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■松寿庵先生・第223講

2017-02-10 18:07:20 | 史料
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■戻り寒

2017-02-10 11:49:51 | 熊本

                                      古文書の文字追う朝や 戻り寒  津々

 某家の文書(一行15・6文字、約110行)の読み下しにチャレンジして都合二週間ほど、難解なる文字に遭遇して悪戦苦闘している。
前後の文章から類推されるような語句であれば、何とかなるのだが、今まで聞いたことのない熟語が飛び出してくるともうお手上げである。
現在10数文字がどうしても読めない。コピーの段階で文字が切れたり、潰れたりして判読不明なものは別としてである。
毎度のことだが一日かかってもたった一文字が読めないことが有る。現在がそんな時期で気持ちもなえてくる。

今朝は10時過ぎ頃から雪が降り出した。頭から温風が舞い降りる暖房はどうも苦手で、ひざ掛けを足に巻き込んで、ときどき手を突っ込んでは暖を取っている。「くずし字解読辞典」や「くずし字用例辞典」などのページをめくっていると、手だけが異様に冷たくて、手袋をしたいくらいだ。
指先が切れている手袋を本当に買おうかとさえ考えている。
約1700文字の内の10文字だから「いいか」と妥協したくなるが、一文字解読できないが故に文章の意味が通じなくなることが有る。

部屋の中が明るくなってきた。牡丹雪がちらちらしているが日差しが出てきた。有り難い。


 

 

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■お姫様の避難

2017-02-09 17:14:41 | 歴史

 明治10年の西南の役勃発直前、北岡邸にお住まいだった三人の姫君は焼き払われる直前の城下町を脱出して、立田邸に逃れられた。

                  ■御姫様の逃避行

 

処で「熊本御城下の町人」を読むと、明治五年の事とされるが細川家から「御前様のお駕籠」を預かってくれるようにと、中古町の副戸長に頼みがあったという。
まさに権威の象徴ともいえる「お駕籠」である。この時期になると無用の長物になったのだろうが、売り払うという訳にもいかず、「預かって欲しい」という事になったらしい。中古町では預かりものに傷でもつけたら大変だと断りを入れたらしいが、どうやら旧藩時代の御威光を以て 押し付けられたらしい。
参勤交代もなくなり、大仰なお附きもなくなり、東京ー熊本間の旅も船旅が主流になってくる。後は人力車ででもあろうか。
そんな中、明治10年の三人のお姫様の長きにわたる西南の役からの逃避行は如何であったろうかと考えた。
たぶん「お駕籠」であったろうと想像するのだが如何だろうか。
お預かりの「お駕籠」は西南の役に於いて焼失したそうだが、細川家からは戦時のこととて「已む無し」という事であったらしい。
 

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お安く読む・岩波新書「俳句世がたり」

2017-02-08 12:48:29 | 書籍・読書
 俳句世がたり (岩波新書)
     小沢信男
    岩波書店


私の本棚には俳句に係る本が結構並んでいる。いろいろ読んでいるが俳句の腕は一向に上がらない。
何か新しい本がないかなーといろいろググっていたら、昨年末に発刊されたこの本が紹介されていた。
大先生の俳句論などというのはどうも受け付けなくて、肩の凝らないものが好みである。
内容紹介を読むとわが意に沿った本の様だ。そこで早速注文した。届くのが待ち遠しい。

        んの字に膝抱く秋の女かな  小沢信男

内容紹介
祭りに相撲、友人の死、敗戦の記憶、大震災──。浮き世に出逢うさまざまな出来事を、武玉川から虚子、子規、万太郎、あるいは漱石や荷風など、古今の俳句をつうじて描く。笑いを織り込み権力を撃つ練達の筆に、私たちの生きる近年の世相が鮮やかに浮かぶ。俳句入門としても必読のエッセイ。

 

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