

「ヨハネ伝」8章は、とても深い内容を持っていますね。
こういう章の聖句を解読していますと、我々は、細部・深部に入っていくあまり、全体観を失いがちになっていきます。


ここで、全体観を回復してみましょう。
題して『仕合わせの聖書論理』
聖書とはそもそも何のための本か、を思い起こしましょう。
そうです。
聖書は、人間を仕合わせにしようとして、人間のなかの霊感の豊かな人に創り主が送ったメッセージである。
それが聖書自らが内にもっている、この書物の本質です。
人間向けなんですね。
もしも、天使に向けたメッセージだったら、それはまた違ったものになるでしょう。
~~とまあ、そういう前提で聖書は読んでいくわけです。なかには、「そんな前提になどたてない」という人もいるでしょう。それも結構。だけど、そういう場合は、読んでもあんまり面白くないでしょうね。「これは単なる神話だ」という前提で読んでも見たら、ギリシャ神話とか古事記、日本書紀の方が面白いんじゃないかな。
で、次に進みますね。


人間が仕合わせになるための根底の基盤は、「人間は永続する」ということへの確信を持つことです。聖書のメッセージはそれを教えてくれています。鹿嶋が、そのことをこの『鹿嶋春平太チャーチ』の副題に掲げているのはそのためです。
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人は所詮心の中に形成したイメージ世界のなかで生きています。愛する家族員、友人にたいしてだってそうです。その人が眼の網膜に写ったままでその人を意識してはいません。
その網膜像を、脳神経で処理します。そうして加工済みのイメージを創ります。愛しい人には愛しい要素を選択的にあつめて。憎い人には憎い要素を選び出して、他のものを切り捨ててやっています。で、それをその人だと意識して対応しているのですよね。人間は外界に対するに、そのイメージにたいして対応しているのです。
自分を取り巻く世界に対してもそうですよ。人は、生まれて以来、まず、眼に見えるもの、物理的なものを起点にして、自分を取り巻く世界のイメージを形成していきます。鹿嶋はそれを「物理的イメージ世界」と名付けています。
でも、イメージ世界はそれだけではない。人は、物理的なものを起点にしないでもイメージ世界を形成することが出来るのですね。ギリシャ神話とか日本神話とか、神話の世界などはその例ですうよね。鹿嶋はそれを「純イメージ世界」ということにしています。


物理的イメージ世界は、「人間は死んでオシマイ」という世界です。人間は、物理的には肉体が死んで消滅してしまいますでしょ。観察したら、そうなっていますよね。で、それを基点にして形成するイメージ世界は、「人間は死んでオシマイ」という世界になります。
とはいえ、それも結局は「イメージ」世界ですよね。
で、他方で「人間は永続する」という論理を持つ純イメージ世界を心の中にもう一つ創ってみたらどうでしょうか。
もしもこのイメージ世界が物理的イメージ世界を圧倒するような濃厚さ、明確さをもったらどうでしょうか。人の精神はそういう作業も出来るんですうから。
そうしたら、人は「人間は永続する」という意識をベースにして生きていくことが出来るようになる。「死んでオシマイではない」という意識でもって生きていくことが出来るようになる。
これがこの世の生活においても仕合わせで活きられるための、根底基盤です。聖書はそれを教えています。


本当かな?
自分が永続するという確信が、そんな重要な効果を持つのかな?
~~これを少し感触するために、みなさん、いま、次のことをしてみましょう。
右手に握りこぶしを作ってください。
それを突き出して、こう言ってみてください。
強く言ってください。
「わたしは永続する!」と。
これを3回言ってください。
出来る人は10回言ってください。
次にもう一つ。
「私は死んで終わらない!」といってください。
これも3回、強く強く言ってください。
出来る人は100回言ってください。
~~あなたの心の底に、何か変化が起きています。かすかであってもそれを感じることが出来るでしょう。(感じられた人はコメントで伝えて下さるとありがたいです)
やってみた人は、それを体験できます。その人は、これからの話の理解が、やらない人の百倍効率よくなります。
では、次回から話を始めますね。

