鹿島春平太チャーチ

「唯一の真の神である創造主と御子イエスキリスト」この言葉を“知っていれば”「天国での永生」は保証です。

Vol.9 どうにもならないものへの知恵

2006年01月31日 | 永続確信のための聖書解読


こんにちわ!
鹿嶋春平太です。
今日もいいことありますよ。

聖書は永遠の世界においても、この世においても、人間をしあわせにしようとする本ですから。

仕合わせの聖書論理、第9回です。

超自然的な力によるものは、当面のぞいて考えます。
心理学的なものなど、経験科学的に認知できる領域で話を進めます。


               


 人間は、この世でいま肉体を持って生きています。
四六時中そういう状況の中にいる。
死後のことも、考えるけれど、いまこの世で生きている人間は、この世でのことに一番時間をかけます。
それは自然の情でしょう。

福音を説く人は、それを知った上で、死後の幸福も、救いも理解しなければなりません。


               



永続確信についてもそうです。
この世での生活で人間が「抱く仕合わせ感」にとって、死後に永続するという確信は、その根底基盤になっています。

これがないと、この世の生活においても、人間はいつも深いところから聞こえる「どうせ死んで終わりでしょ」という声に、永遠に脅かされることになるのです。
これを聖書的に言いますと「死の奴隷」となります。

「死」から発せられる声に、鎖でつながれるようにつながれています。
「どうせ死んでオシマイでしょ」という声に永遠に脅かされる状況にあります。


               



 いずれ死んで消滅してしまうのでしたら、自分の周囲に存在するものはみんな自分にとって無になってしまいます。

 するといま自分が価値あると思っていたものも無になってしまいます。価値(意味あると思う感情)は、存在するものにくっつけているものですからね。存在そのものが無になったら、価値も消滅して無になってしまいます。

 人の知性は、そういうことを知っています。


               


でも、人間は知恵を働かすんですね。
この「どうせ死んだらオシマイ」はどうにもならない、と悟る。
そして、これはもうどうにもならないんだから、「そのことを前提に」、この世の仕合わせ論を作って生きようぜ、となります。

それには、まず、「どうせ死んでオシマイ」は、なるべく意識しないようにしよう、となります。
これには目をつむって、忘れた状態におくのがいい。 
そのための手法を本能的に様々に考案します。これが知恵なんですね。

1.この世に理想郷を求める。

 その一案が、この世に「理想郷」を求めることです。
 この世に輝くものを求めることで、人間はある程度「死んだ後の時間」への意識をブロックすることが出来るんですね。

 で、それを実現するために、追われるように働きます。
理想の共産主義社会の実現、思いやり社会の実現、みんなが陽気ぐらしでいるように助け合う社会の実現、千年王国の実現、その他様々な理想郷実現のアイデアがあります。

~~これだけか?
 他にもあります。
 次回に考えましょう。


                    



コメント
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