聖書は永遠の世界においても、この世においても、人間を幸せにしようとする本です。
仕合わせの聖書論理、第二回です。
超自然的な力によるものは、一応のぞいて考えます。
心理学的なものなど、経験科学的に認知できる領域で話を進めます。
「永続確信」はどういう風に「仕合わせ」とつながっているのでしょうね。
この二つは、遠いですよね。
つながりを見つけ出すには、すこし寄せてみる必要があるでしょうね。
永続確信の方から寄せてみましょうか。
<不安感が減少する>
自分が永続するという確信が深まると、まず、不安感は急減するでしょうね。
自分が死んでオシマイで、その先「無」になってしまう、何にもなくなってしまうとなると、不安だもんね。
<世の中がカラフルに見えてくる>
もう一つ、永続確信が深まると、物事が「色づいて」見えるようになります。
存在するものが、明確に、はっきりと、見えてくると言ったらいいかな。
鹿嶋の友人に、勉強家のド近眼のがいました。
近眼だから勉強に差し支えないし、親はメガネを買わないで小学校の高学年まで生活させたそうです。
その後、メガネを買ってくれた。
それを付けてビックリしたそうです。
「うわぁ~世の中こんなにきれいだったのか!」と。
以来、彼はそのきれいな世の中で暮らしているわけです。
・・・そういう感覚ですね。物事がはっきりと、色づいて見えてくるというのは。
+++
聖書の教えを受け入れて、洗礼を受けたときの感想を聞くことがあります。
教会ではこれを「証し」といいますが、その中に時々こう言うのがあります。
「洗礼を受けたら、急に世の中輝いて見えてきた。木々の緑も色濃く見えてきた」と。
これは、自分が永続するという感覚が強くなったことによるでしょう。
<仕合わせから寄せてみると>
でも、それらが「仕合わせ」とどうつながっていくのか。
まだまだゴールは遠いですよね。
今度は「仕合わせ」の方から寄せてみましょうか。
仕合わせといっても、焦点は「この世の生活の」仕合わせに当てましょう。
聖書では、肉体を脱いだ死後の仕合わせと、この世の仕合わせとの両方を人間が得られることを願っています。
そして、死後の永遠の仕合わせが第一に重要で、この世の仕合わせは第二に重要だとしています。
けれども、ここでは志向が複雑に成りすぎるのを避けて、「この世の人生の」仕合わせに焦点を当てましょう。
この世の仕合わせも、詰まるところは人それぞれとなるでしょうが、代表的な仕合わせの構造はこう考えていいでしょう。
まず、衣食住など物的・経済的な条件が仕合わせには必要ですね。
広く言えば、「お金で買える」ものです。
また、肉体の健康も必要ですよね。
さらに、家族との人間関係、友人との交友関係も良好であることが必要でしょう。
人は所詮一人では生きていけないんですから。
加えて、精神的なもの、心の安定・平安・よろこびなども必要でしょう。
物的なもの、健康、人間関係は、心から見たら外的、環境的なものですよね。
でも、それが整っていても、心に喜びがなければなりません。
仕合わせ、というのは、つまるところは、心のこと、精神的なことですからね。
<心の幸福に物質は付いてくる>
たくさんの要素が必要ですね、この世の仕合わせには。
みんな得ようとしてかかっていったら忙しくてしようがなくなってしまう。
それで、かえって不幸せになってまうかもしれません。
仕合わせを得ようとして、かえって不幸になってしまった、というんじゃ落語のネタにしかなりませんからね。
これらをどうやって確保したらいいのでしょうか。
聖書は、すべてに一斉に手を出すな、という思想です。
これらの間には、因果関係がある。
その原因になるものの方から手がけていけば、他のものは、その結果として実現していくんだよ、という教えです。
では、原因になってくれているのは何か。
それは心の状態の方だ、という。
衣食住、健康、人間関係など外的環境的なものと心の喜び・平安とを比べてみたら、後者の精神的なものの方が、源になる。それが原因になって、前者の物的なものはもたらされてくるのだよ、と教えます。
「まず天の創主王国とその義を求めなさい。そうすればこれらの(この世の)ものは(必要の二倍三倍と)添えて与えられますよ」(マタイによる福音書、6章33節)
~~というイエスの言葉があります。これは精神が先、物的・環境的なものはそれに伴って後から付いてくる、という法則を含めた教えです。
天の創主王国の「義」とは、ここでは天の論理と受けとっていいでしょう。
この論理は永遠の論理(義)です。
そこには、「人間は永続するという法則」も含まれています。
人間はその義を求めて得ると、自己の永続に関する確信を得ます。
そうすると、この世の物的なものは結果として付いてくる、という教えなのです。
どうしてそんなことがいえるでしょうね。
次回にその筋道を考えましょう。