「ヨハネ伝解読」11章を続けましょう。
「昼間歩けばつまずかないよ」といったイエスは、さらに比喩言葉を続けています。
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=聖句=
「我らが友、ラザロは眠っているんだ。私(イエス)は彼を起こしに行くんだよ」(11節)。
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これを聞いた弟子たちは言いました。
「眠っているんだったら、良くなるでしょうに」(12節)。
これに対して著者ヨハネはこうコメントしています。
「イエスはラザロが死んだことを言われたのだ」(13節)と。
イエスが言ったその時点でヨハネがそれを読みとっていたかどうかはわかり辛いところですね。助さんである彼は、真意を悟っていたかも知れない。あるいは、イエスが続いてこういわれたことから知ったのかも知れません。
「ラザロは死んでいるんだよ」(14節)。
イエスはまた続けています。
「私がそこにいなくて良かったよ。諸君のためにだよ。その方が、諸君が信じるにはいいんだ」と(15節)。
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信じるって、何を信じるのでしょうか。
彼らがこの世にいると信じている創造主が、「死者をもよみがえらす(癒しの力を超えた)偉大なる力を持つ方である」ということではないでしょうかね。
弟子たちは、イエスが人を癒す場面については、何度も観察しています。けれども、死んで日にちがたっている人間を生き返らすのは見ていないんですね。
イエスがラザロの近くにいたら、病を癒してしまうことになります。それでは従来のような、癒しの力を現すだけなのですね。
だが、遠くにいたおかげで、イエスは今、死んで日にちがたった人間でも生き返らすことが出来ることを証明できる。こうして創主の偉大なる力を弟子たちに見せてあげることが出来るわけです。
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とはいえその時点では、弟子たちにはイエスがこれから死人を蘇らせる力を示すなどとは想像もつかなかった。それより、先生の身が心配でした。弟子の一人であるトマスは言います。
「先生は行くと言ったらどうしても行かれる。よし、我々も行こうぜ。そして、先生と一緒に死のうぜ!」
イエスと共に死んだら本望だという弟子は、格さんペテロだけではなかったんですね。でも、イエスからしたらこれは困りものだったのではないでしょうか。
「わが弟子たちは、どうしてこんなに死にたがるんだ・・・」と。