鹿島春平太チャーチ

「唯一の真の神である創造主と御子イエスキリスト」この言葉を“知っていれば”「天国での永生」は保証です。

Vol.145『信じないで死んだ人の霊もイエスを信じたら生きる?』(11章)

2006年05月16日 | ヨハネ伝解読
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=聖句=
 「私はよみがえりです、いのちです。私を信じる者はたとえ死んでも生きるのです。また、生きていて私を信じる者は死ぬことはありません」(11章25節)
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今回も聖句は同じですよ。
 これまでの考察を振り返りましょう。
 「私はよみがえりです、いのちです。私を信じる者はたとえ死んでも生きるのです」の聖句について、考えられるケースは次の四つでしたね。

①「(肉体は)死んでも、(肉体は)生きる」
②「(肉体は)死んでも、(霊は)生きる」
③「(霊は)死んでも、(肉体は)生きる」
④「(霊は)死んでも、(霊は)生きる」

 そのうちで、①と③はありえない、ことがまず前々回でわかりました。
 次に、②もありえない、と前回にわかりました。

 だったら、残るは最後のケース④だけだ。これでいきますと、④は~~
 
「わたし(イエス)はよみがえりです、いのちです。たとえあなたの霊が死んでも、私を信じればその霊は活きます」

     ~~という解読になります。

 そしてそうなると「また、生きていて私を信じる者は死ぬことはありません」は~~

 「また霊が生きていて私を信じる者は、死ぬことがありません」

              ~~ということになります。

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④の後に付け加わる文、「また生きていて・・・」の文については問題ないでしょう。生前にイエスを信頼するとその霊は死なない、というのは聖書の鉄則です。ですから「また、霊が生きていて・・・」という場合、この人は生前にイエスを信頼してるわけです。
そうしたら、霊は活き続けるわけですよね。

 問題はその前の④の文でしょうね。
 これは④「(霊は)死んでも、(霊は)生きる」といっている。
上記の「また、生きていて私を信じるものは・・・」が肉体が生きている間に信頼することを言っていますので、こちがは肉体が生きている間にイエスを信頼しなかった人の霊について言っていることになるでしょう。信頼しないで肉体が死んだので、肉体を離れたその霊は死んだ状態にあるわけです。

そしてその状況でもイエスを信じたら、その霊は活きる、と④は言っていることになる。これはなんだ? 大多数のクリスチャンにとって、これは普通のことではないでしょう。

そんなこと言ったら、牧師さんに叱られはしないか?
「そんな解釈は異端だ!」とね。
 これもまた、大変なことですね。
これについては次回に考えましょう。

コメント
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