鹿島春平太チャーチ

「唯一の真の神である創造主と御子イエスキリスト」この言葉を“知っていれば”「天国での永生」は保証です。

日本人への福音伝道

2007年01月31日 | “エホバ”の奥義
   
                    

創造主の概念は生活実感から自然発生するものではない。
このことはキリスト教という教えの特色を明確に浮上させてくれます。
この教えは創造主の存在を大前提にした教えですので、初めは実感が伴わないのが当然なのですね。

 その点、仏教は対照的です。この教えは人間が無常であるという自覚から出発しています。
そして無常感というのは、まさに人間がかなりな幼少時から実感してきているものなのです。

 無常文化の濃厚な日本で育った人間には特にそうです。だから、仏教の話は初めからよく「わかり」ます。
これに比べるとキリスト教の話しは、初めはピンと来ないもいいところなものなのです。

                    

 日本で福音を宣べ伝える人は、そのことをよく踏まえる必要があります。
この教えは、初めの一定期間は実感が伴うことのない教えである。
伝道の最初にそれを相手に明示することが必要なのです。
福音を知りたければ、最初は実感が伴わなくてもまず聞け、という。
「信仰(福音の)は聞くことから始まる」とはよく言ったものですね。

 そしてこう話を続けます。
~~しかし、ある時それが突然バンとわかる(実感できる)時が来る。
福音とはそうい特性を持った教えなのだ、と。
そうやって得られる実感は他に比類なく素晴らしいものだよ、と。

                    


 こういう説明のステップを踏まないことが、日本人への伝道を成果の薄いものにしてきた一因だったのではないでしょうか。
福音の話をし始める。聞く方は実感が湧かない。そしてこう思います。
「やっぱり西洋の宗教は我々日本人には心情的に合わないんだなあ」と。

 日本での福音伝道は従来こういういわばマイナスの確信を与えることでもって終わってしまっていたのではないでしょうか。
だから伝道活動が期待とは反対に、福音からますます人を遠ざけるという
皮肉な成果を生むことになってしまっていたのではないでしょうか。

~~飛鳥石舞台から、の考察はこれくらいにして、著書のはなしに戻りましょう。


                    


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2 コメント

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だから、神なのか? (sabia)
2007-01-31 23:03:34
この記事を読んでいて、それで創造主が、神になってしまうのかなと思いました。神さまがどうしたこうしたとくれば、聞かされる方は、実感を持って安心して聞くことができます。「神」は、それなりに親しみがある言葉ですから。話す方にしても落ち着いて話を進められます。牧師さん方は、もし「神」の呼び名を捨ててしまうなら、理念だけで語らなくてはならず、大変になってくる。「神」を使えば、未信者でも、それなりのイメージが持って聞いてくれる。でも、その実感というのは、誤解の始まりですね。仮に、クリスチャン同士の間で理解が進んで、創造主として、神のイメージを持って話したとしても、外部の大多数の人からすると、神イメージは、日本の神様から一歩も出ませんから、誤解が広がるばかりになるでしょう。
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福音形成に段階あり? (鹿嶋春平太)
2007-02-02 10:20:14
Sabiaさん
 おっしゃる通りに思います。今回明日香石舞台で私が体験したのは、人の意識に福音が定着するには段階を踏む必要があるのではないか、ということでした。
 まず最初に、ゴッドリーな世界観の型枠が安定すること。それが形成されるために、その内容(コンテンツ)は物的な富と健康であってもいい。その方が、型枠は形成されやすそう、ということでした。(すると、ゴッドリーな型枠の中でならば、私が以前に記した「門前ならし」も意味のあること、となります)
 そしてその上で第二段階として、このコンテンツを霊といのちに入れ替えていく。イスラエルの民にエホバとイエスがなしたのは、そういう2段階の試みだった。これは人間一般の性質に最適な方法なのかもしれない~~ということです。これ、とても大切なことに思いますので、改めに追記して本文に掲載すべきかもしれないと感じています。適切なコメントありがとうございました。
 
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