イスラエルの民は、エジプトに定住しますが、これは奴隷としての定住でした。こういう立場での定住は、寄留というか仮住まい感覚が伴ったものです。心から腰をそこに落ち着けて暮らせない。鹿嶋はこれにもエホバの持つ深い智恵を感じます。
そういういわば「半定住状態」に置いておいた後に、エホバは彼らを再び旅に出します。モーセを指導者にして荒れ野を40年旅させる。エホバは創造主の概念を本格的にこの民族に導入し、植え込むのはこの旅の中においてなのです。
この世が創造主によって創られた状況を文書化させたこと。
創造主以外は拝むな、カタチあるもので現すな、と命じたこと。
週に一日は終日創造主を憶えよ、という命令を与えたこと。
そして、幕屋の作成を命じて創造主への一定の実感~~擬似的な実感でしたけれど~~を得られるようにしたこと。
~~これらはみな荒れ野を通る旅の途中で与えられた。だからこういうメッセージは民族の心に入っていったのでしょうね。定住してる時だったら、自然発生的な神々が障害となって、入っていかなかったでしょう。あるいは一時的に入っていったにしても、時とともに蒸発していったことでしょう。現代日本に住むわれわれが、そうなる可能性が高いように。
しかしこのストーリーはすごいなあ。人間の心情を洞察し尽くしている。リアリティに充ちている。これだけでも聖書の記述は作り話とはとても思えません。芥川賞、直木賞、ノーベル文学賞といったレベルを遙か超えています。こんな本は他にないし、もうこれからも人類社会には現れないと思うほかありません。
飛鳥石舞台で考えさせられたことはまだありますが、当面これくらいで留めるべく、次回でもって最終といたします。
優しい心遣いのコメント下さりありがとうございます。
先生のブログで報告されていたリックウォレンのおPurpose-driven Life は、言葉尻だけをとらえると両刃の刃になる危険もありそうに思います。短期的な目的をかかげると、達成してしまうと糸の切れたたこのようになる可能性があります。甲子園ボーイなどにその例が多いようです。
やはり、人生終了までの全体にわたる目標を掲げることを教えないと、まずいですよね。それをどのように掲げ、どのように複数の経過目的にブレイクダウンしていくか。キリスト教の牧師は、じっくり考えて提示していく必要あるかと思ったりしています。
グループで聖書通読とは!
理想的な聖書勉強の状態と鹿嶋は思っていますよ。
そんなグループがどこにあるかできるだけ多く知りたいです。山芋さんのグループをご紹介くださいませんか?