~~前回、エホバはまず創造主を深く心に抱く一人の男、アブラハムを選び、彼の子孫だけからなる民族をメッセージの受け皿にした、と申しました。その民族の意識にまず、世界には創造主が有るという世界イメージを形成するためでした。
その民族の中からモーセを選び、エホバはその仕事を開始します。まず、世界が創造主によって作られた様のメッセージを送り、モーセにそれを書物に記述させました。こうして世界は創造主によって作られているのだ、という考えが文字として定着した。前回そこまでを申しました。
<命令も与える>
エホバの仕事は、それに留まりませんでした。彼はモーセを通してイスラエルの民に、創造主だけを神として礼拝せよという命令も与えています。
「世界は創り主によって創られたんだよ~」という「説明」だけではないんですね。命令で追い打ちされることによって、創造主の概念はイスラエルの民の心に更に固定化されていきます。
次いでエホバは「創造主を形あるものに造って拝んではならぬ」とも命じています。それは、創造主は目に見えない霊的な存在であって、偶像に姿を変容させたり像の中に入ったり染み込んだりするものではないのだ、ということをも明示しています。こうして創造主の概念はさらに限定的で、明確なものにされていきます。
<賞罰付きで命令す>
またこの命令は賞罰付きです。守れば子々孫々何代にもわたって福を与えるが、守らねば呪いを与える、という。子々孫々までにいたる罰則付きとは厳格ですね。このように飴と鞭でもって「創造主アリ」の世界イメージをイスラエルの民に叩き込んでいこうと、」エホバはしています。
<十戒は前半が中心>
これはご承知の「十戒」の前半領域に含まれた部分です。前半で創主に人間が対すべき仕方を命令していて、後半では人間が人間に対すべき仕方を命令しています。しかし、重点は前半にあります。
後半の最初に、「汝の父母を敬え」というのがあります。父母とは自分を肉体的に存在せしめた人間です。肉体の話は目に見える世界でのものですのでわかりやすく、実感が伴います。これを敬うというのは実感を伴う行為として出来るのです。
これを敬っていると、人には、自分をこの世にあらしめた存在を敬うという思考の「型」が形成されます。それが目に見えない創造主を、自分を存在せしめてくださった方として敬い拝する準備作業になっています。
人を殺すな、人から盗むな等々の対人行為に関する命令も十戒の中核ではありません。これらは万物の創造主が存在し、被造物を統治しているというイメージ世界を前提とし、その中で意味を持つものなのです。
そしてこれらの命令も又、モーセ五書のなかに、文字として残されていきます。
(続きます)
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