米国を知るためだけでなく、日本を知るにも、世界を知るにも、現代人はマルクス理論を正確に知ることが必須である。
だが実体はその逆になっている。
ほとんど全員がマルクスの理論と思想の正確な知識なしであれこれ論じているのだ。
+++
マルクス理論は、明の面と暗の面とを持っている。
<マルクスの経済理論>
まず、明の側面だ。
それは資本主義経済の性格を明確に示したことだ。
彼はその理論を、資本主義社会の「分析」から開始した。
+++
資本主義社会は、人民を自由にしておき、市場メカニズムの調整作用でもって生産活動を維持しようというシステムの社会だ。
マルクスは、このシステムは必ず行き詰まる,と考えた。
彼の論理は次のようになっていた。
~資本家は、生産手段を私有している。
彼らは労働者にしかるべき賃金を支払わない。
つまり搾取をしている。
資本家はその搾取分を独り占めし、その一部を自分たちの贅沢な生活に使い、残った分を、生産機械に再投資する。
すると、器械が増えて生産効率が上がり、その分労働者がいらなくなる。
削減された労働者は失業者となる。
すると、それだけ国家の総所得が減少し、商品需要も減る。
そうなればその分、生産も出来なくなり、また、雇用が減少し、需要が減る。
以下、同様のプロセスが進み、資本主義方式では、国家の経済はこういう縮小循環をしていく。
生産手段〔機会や原料)をたくさん持ちながら、それを発揮できない状態になっていく。
いわゆる「豊富の中の貧困」に陥っていく。
<根本原因は私有財産制度にありとする>
マルクスは、この動きは必然的であるとし、その真因を私有財産制度だと認識した。
資本家は、工場、機械を我が物にしているから、搾取が出来る。
そこで私有財産制をなくし、生産手段を公有化すれば、経済の桎梏(しっこく)はとりのぞかれ
生産力は全開する。
そうすれば人類は、豊かな理想郷に至ることが出来るだろう。
そのために労働者・民衆が革命によって生産手段を公有化すべきである。
そうすれば理想社会はオートマチックに実現される。
~これがマルクスの社会思想であり、歴史観だった。
マルクスは、「社会主義社会」という理想世界の夢を人類に供給した。
これが「明」の側面だ。
<「暗」の側面~革命後経済運営論の欠陥~>
マルクス理論の暗の側面に話を移す。
さすがのマルクスにも盲点があった。
それは革命後の組織運営面でのものだった。
+++
彼は、私有生産手段を公有化すれば、理想社会はオートマチックに実現すると思っていた。
だが「イッツ・オートマチック」は、宇多田ヒカルの歌の中だけの出来事であって、実際には国家社会は暗黒の全体主義に入っていくのだ。
+++
別の機会にもう少し詳細に述べるが、実体はこういうことだ~。
資本家から企業をとりあげ国有化すれば、実際には、国家や地方政府の役所の企業運営部門に、何百という企業を集めることになる。
これを運営するのは、並大抵ではない。
革命前に一つの私企業を運営するだけでも、経営者〔資本家)は四苦八苦した。
なのにそれらの生産活動を、中央政府で一手に運営しようというのは至難の業である。
担当官僚は全国生産計画をつくるだろう。
だが、これは本質的に大まかでずさんなものにしかなり得ない。
これでもってやろうとすれば、各生産活動にノルマを定めて、人民を命令=服従=懲罰の方式で管理するしかない。
社会主義方式では、そうするしかないのだ。
<恐怖で動かすシステム>
けれども、これは恐怖ベースで人を従わせる方式である。
恐怖感で動かされれば、労働者は、時と共に自発性を失っていく。
企業内でも企業間でも、臨機応変な相互連携がなくなっていく。
あちこちで原料不足が起き、欠陥生産物が発生する。
<秘密警察、思想警察>
だが中央政府は、いまさら後に引くわけには行かない。
そこで人民の不満をいち早く押さえつけるために、企業内に労働者の相互密告制度をつくる。
政治活動もそうだ。
社会主義以外の思想や政党活動を赦すと、人民がそちらにいってしまう。
そこで共産党以外の政党も認めないという、一党独裁制度も実施することになる。
この体制を維持するためには、各地点に思想警察を忍ばせねばならない。
極端な場合には、家庭内にすらも相互密告制をしかねばならない。
社会主義方式での生産活動を続けようとすれば、ごく自然に、こうなっていくのだ。
市場経済社会に生きてきた人間にとっては、この社会はほとんど地獄となる。
+++
悪口を言っているのではない。
マルクス思想の持つこの不気味な「暗」の側面を、人類はきちんと知らねばならないのだ。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます